5分で分かる! アメリカスカップ
〜92年ア杯のテレビ放送を見た記憶とその後の適当な調査による〜
 
 ここに書くのは一般に出回っている情報で、100%伝聞によるものです。どこまで正確かはわかりません。私の記憶力の問題もありますし。そのつもりで読んで下さればと思います。
 
<アメリカスカップてなんすか?>
 
 めちゃめちゃでっかいハイテクヨットに、ものすごい巧い人達が乗って、America's Cupという銀の水差しを賭けてあらそうマッチレースの大会です。
 
LV杯公式ページ内、カップの写真 
 
 まずは歴史から。
 
 
<第1回アメリカスカップ>
 
 1851年のことです。皇室関係のイベントの一環として、英国でワイト島一周のヨット(ていうか帆船ぽい)によるレースが行われました。15艇のイギリス艇の他に、アメリカから一隻のヨットが招待されていました。その名も"AMERICA"。100フィート2本マストのスクーナーです。当時、イギリスは世界一の海洋王国。当然、新興国アメリカを軽〜くひねってやろうという腹でしたが、実際、レースが始まってみるとアメリカ号はブッちぎりで優勝してしまいました。
 優勝したアメリカ号には銀の水差しが送られました。当時でもそこらの店で普通に売ってるような、安物の水差し。このカップこそがAmerica's Cupです。そしてこのカップはその贈与証書"Deed of Gift"とともにアメリカに渡ります。以後、贈与証書に基づき、アメリカはこのカップをかけて4年に一回の挑戦をうけることになりました。Deed of Giftは多くの解釈、修正が加えられて、今でもア杯運営の最高規則となっています。
 
 おもしろいエピソードをひとつ。さて、レースが佳境にさしかかり、一位のアメリカ号がフィニッシュしました。観戦していた女王陛下は面白くありません。世界一の海洋王国が誇るイギリス艇団はどこにいるのでしょう。2着はなんという艇なのでしょうか。女王は側にいた水夫に尋ねました。
女王「これ、そこの者、2位の船はどこか」
水夫「Your Majesty, There is no second(陛下、2位はございません)」
 これこそが、闘いの結果は唯一勝者と敗者しかなく、栄光を手にするのは唯一の勝者のみであるという、アメリカスカップの精神が示された瞬間でありました。
 ……というような美談がありますが、この"There is no second"には、「霧が濃かったけん見えんかっただけやん」とか「んなかっこええ話あるかいな後から作ったやろ」という説があります。すなおに考えると「見えなかった」説が有力ですが、どちらにせよマッチレースによって勝敗を決めるア杯にはぴったりのエピソードではないですか。
 自分の船の艇名の横にThere is no second と書いてしまったオーナーさんを知っています。すばらしい。
 
<その後>
 その後もイギリスを中心に多くの国、大富豪がカップに挑戦しましたが、アメリカはことごとくこれを敗りつづけます。船は大型化を続け、その時代の技術の粋を集めたものとなり、ア杯は巨大なイベントになっていきます。このころの船はその時代のレーシングヨットとしての迫力と、帆船時代の優雅さをそなえた巨大な船で、とても絵になると思います。
 このころ、よく名前が出てくるのは、紅茶王リプトンとか、鉄道王とか、ボールペン王とか、メディア王とか、とにかく大金持ちがその生涯をかけて挑むイベントです。その規模はもはや国と国との威信をかけた争いとなっていきます。
 しかし、カップはアメリカに渡ってから132年間、一度もアメリカから出ていくことは有りませんでした。アメリカ艇は25回にわたって挑戦艇を退け続けたのです。
 
 余談ですが、始めのころはヨーロッパからの挑戦艇は自力航行で大西洋を横断してくるというルールがあったそうです。F1でたとえるなら、「サーキットまでちゃんと公道を自走できる車で走って来い」っていうことにするのと一緒。えげつないなぁ。でもルール解釈合戦ではどうしても防衛艇がわが有利になるのがア杯。Deed of Gift持ってるからね。
 
 
<近代ア杯>
 
 近代ア杯では、挑戦側は挑戦艇で予選(リーグ戦→X戦先勝方式)を行い、カップホルダーである防衛艇側も国内で予選を行って(方法は朝鮮側と同じ)、防衛艇代表が挑戦艇代表を迎え撃つ、という形になっています。なお、挑戦艇の予選大会はルイヴィトンがスポンサーとなっているので、ルイヴィトンカップと呼ばれます。つまり、ルイヴィトンカップの勝者が防衛艇への挑戦権を得るのです。

LV杯公式HP内 LV杯スケジュール 今回から少し変則的 
 とりあえず近代ヨットを語るなら、12m級時代から始めればよいと思います。
 それまでの巨大化傾向に歯止めをかけるべく、12メートル級というそれまでに比べれば遙かに小さなクラスが誕生しました。12メートル級とはいっても実際は60フィートほどある大きな船です。クラスルールは限定規格級という方式でかなり設計自由度は高く、様々なアイデアが盛り込まれます。当然、当時の最先端技術が投入されるため、開発には巨額の資金が必要でした。
 
 12メートル級時代もアメリカは勝ち続けます。そこで登場するのは米国のデニス・コナー。ミスター・アメリカスカップと呼ばれた男だそうで、5回(だっけ?)に渡って防衛を果たします。
 
<カップ史上最大のドラマ>
 
 1983年アメリカスカップ。それまで4回、米国相手に苦杯をなめてきたアラン・ボンド率いるオーストラリアが、ついにカップを勝ち取ったのです。このとき、ミスター・アメリカスカップ、デニス・コナーは「初めてカップを奪われたアメリカ人」となったのです。
 凱旋パレードでは数十万人の人達がハーバー周辺につめかけました。そこで<オーストラリアII>が上架され、船底の秘密兵器(けっこう知られていたようですが)、ウイングキールが公開されました。

日本が勝ってもあんな盛り上がりにはならないでしょう。文化の違いを感じます。
 とにもかくにも、カップ誕生以来、130年以上にわたって米国が守り続けたカップが、初めて海をわたったのです。
 話はこれで終わりません。
 次の大会、雪辱を果たそうと、デニス・コナーがオーストラリアはフリーマントルに乗り込みます。LV杯では他の挑戦艇を蹴散らし、本戦でもド強風の海面でデニス・コナー率いるスターズ&ストライプス(ストレートなネーミングです)は確実な勝利を重ね、見事カップを取り戻します。このときも米国では凄い騒ぎになったそうです。当然、コナーは「史上初めてカップを取り戻したアメリカ人」になりました。
 
 
<1988ア杯 世紀のミスマッチ>
 
 1988年アメリカスカップ。
 過去二回の騒動はなんかの間違いだ、と米国の人達は思いたかったかもしれません。とにかくカップは米国に帰ってきています。再び伝統と格式あるカップ争奪戦が繰り広げられるかと思いきや、これまたひと騒動持ち上がります。
 きっかけは、ニュージーランドのSir. Micheal Fay(綴りちがったらご免なさい)の、とんでもない言い掛かりでした。彼はカップ贈与証書に関するそれまでの混乱を利用して、あるいはアメリカスカップが安っぽいクラスルールに縛られるべきではないという信念によってか、まさにトンでもない船を造ったのです。それは全長120ft、巨大なウイングを持ち、30人ほどの人間で動かす、巨大なモンスターヨットでした。
 しかし、しかしです。こういう「ルールに関するゴリ押し」についてはカップホルダー側の十八番と言えるところ。サー・フェイの謀略を知った防衛側、デニス・コナーの取った策はさらに予想外のものでした。彼らは巨大な(約60ft)のカタマランを作り、それにソリッドセール(まさに飛行機の主翼を持ってきて立てたようなもんです)を取り付けてNZLの巨大ヨットを迎え撃ったのです。
 結果はもちろん、直線速度で相手を圧倒したコナーのカタマランの圧勝でした。モノハル(単胴艇)とカタマラン(双胴艇)ではそういう勝負になるのは目に見えています。
 エピソードとしては面白いのですが、結局のところ、両者ともア杯の精神を踏みにじったとしか思われていません。どちらの戦略もマッチレースによる勝負をしようという意識が全く感じられませんし、艇開発競争という面においても、彼らのような「まったくルール無し」というやり方では、コンセプトだけの勝負になってしまって、設計、技術面での本来の競争にはならないでしょう。
 こうして「世紀のミスマッチ」事件が起きたのです。
 
 ただし、この不毛なエピソードはア杯に一つの区切りをつけました。
 ア杯レース艇規格の改変です。
 外洋ヨットによるグランプリレースの世界ではすでにIORなどで50ftあるいはそれ以上の大型ボートが当たり前になっており、12m級は先進的な規格とはいえなくなっていました。
 そこで新しく作られたのがInternational America's Cup Class、IACCという規格です。
 全長、セール面積、重量の関係について、ある数式を満たせばよいという、「限定規格級方式」によるもので、かなり自由度の高い設計でした。
 それらは、おおよそ80ft(24m)の全長、130ft弱(35mくらい)のマストを持ち、その巨大なセールから生み出されるパワーに対抗するため、20数トンの重量のうち実に20t以上をキールの下のバラストに集中させるというモンスターヨットになりました。しっかし30数メートルってこたぁ、ビル10数階? 徳島でいやぁ、クレメントホテルの壁一面くらいの広さのメインってことか?バケモンだねぇ。
 
 
<1992>
 
 IACCボートによる初のア杯。このクラスを建造するためには12m級とは比較にならない巨額の資金が必要とされていました。とくに初めて作られるクラスなわけですから、その開発費がとんでもない額になるのは目に見えています。
 92年大会から、日本チームが参戦しました。SB食品の山崎会長をトップとした、<ニッポンチャレンジ>です。この大会では日本チームは初参加ながら有力チームと目されていました。スキッパーも当時世界マッチレースランキング1位だったクリス・ディクソンです。船はさっそく造った2艇<JPN−3>、<JPN−6>によるキャンペーンを行い、さらに本番では<JPN−26>を建造してLV杯に挑みました。結果はLV杯準決勝ラウンド(上位4艇)まで勝ち残り、そこで4位、というものでした。初参加としては輝かしいものだったといえるでしょう。
 JPN−26はこの世代としてはかなり成功した船であり。LV杯優勝のイタリアや最速といわれたニュージーランドとも全く互角の争いを繰り広げました。
 LV杯は結局イタリアがモノにします。
 それを迎え撃つのデニス・コナー……ではありませんでした。
 資金難に苦しむコナーの<スターズ&ストライプス>を圧倒したのは、大富豪ビル・コーク率いる<America3>(アメリカ・キューブ)です。
 しかし、ミスターアメリカスカップとして、防衛艇予選に挑んだコナーも頑張ったと思います。初めてのIACCボート開発にあたり、他のシンジケートが3艇、4艇(イタリアは5艇!)と新艇を量産する中、たった1艇での参戦だったのです。S&Sは改造に改造を重ね、最後には軽量化のためにとデッキ後方の塗装まで削り落とし、まさに全力をつくして、そして力つきたのでした。
 
 IACC初使用の今大会は話が長くなりますが、本戦の結果の前に船の解析をば少々。
 カップルールは前述のようなある意味自由な設計が可能です。当初、設計者たちの考えははっきりしていました。「広く!」です。
 クラスルールの式を見て下さい。繰り返しになりますが、このルールでは全長・セールエリア・重量のどれかの要素をイジれば他の要素にしわ寄せが来るようになっています。たとえば、あまり船を大きくするとセールエリアを削るとかしないと式が満たされません。
 ところが、広さに関してはこの式に影響しないため、設計者たちは「艇を幅広く作ることによって大きなフォームスタビリティ(船体形状による復元力)を得れば、同じ重量でも大きなスタビリティーが得られるから有利だ」みたいなことでも考えたのでしょう(想像)。
イタリア艇正面写真
 結果、この大会でほとんどの艇がルール・あるいは設計上可能な限り広い幅を持った船を造ってきました。フレア(張り出し)の大きな艇体はいかにもヒールしたときに踏ん張ってくれそうでした。たぶん船の上で横向きで卓球ができそうなくらい広かったように記憶しています。
 ただし、例外がありました。<アメリカ・キューブ>です。その艇体は他の船と比べて極端に幅が狭く、そのかわり水線幅が広く、つまり断面形状が四角っぽい形をしているようでした。
 
 予想では、キューブをさらに上回る資金力を持ち、LV杯で揉まれてきたイタリア有利とされていました。
 しかし、レースが始まってみると、<キューブ>は直線速度でイタリアの<イル・モロ・ディ・ベネチア>を圧倒したのでした。イタリアは強引なタクティクスで一勝するのがやっと。4戦先勝ルールですが、4−1で勝負がつきました。
 
 結局、キューブ・タイプの船が速かったのです。次の大会から、キューブ、タイプの船が続々と出てきます。この「前大会で速かった船のコピーが量産される」現象はその後のIACC開発の基本的流れとなります。当然ですが。
 
<1995>
 
 再び舞台はサンディエゴ。
 日本も再び参戦しました。前回、初挑戦で健闘したためか、スポンサーに恵まれ、比較的裕福なチームとして出場です。
 なお、この大会から1チーム2ボートまで、という制限がつきました。必要なルールでしょう。前大会でのイタリアなどの「乱開発」ぶりからすると、資金力の差があまりにも勝敗に影響しすぎます。うまくキャンペーンを張ってスポンサーを集めたチームが有利になるのは当然ですし、国(の経済)力が反映されるというのも国の威信をかけてるっぽくていいんですが、モノには程度ってもんががありますもんね。
 
 大会前、オーストラリアが圧倒的な速さを見せつけていました。IACC世界選手権(フリートレース)では、他艇をブッちぎってみせ、その後のカップに関する話題はオーストラリアチーム<ワン・オーストラリア>に集中します。その艇体は前大会の<キューブ>の設計思想をより過激にしたものでした。
 
 さあ、ニッポンは焦りました。1号艇、JPN−30はキープコンセプトで、前回のJPN−26を発展させ、<キューブ>のコンセプトを取り入れたものでしたが、これがイマイチ走りません。造れるのは2艇だけ、一艇が使い物にならなければ、もう一艇の開発にも影響がでてしまいます。やっぱもっと過激に<キューブ>路線にいくべきだったか、と悩んでも時すでに遅し。その時、暗い会議室でだれかがポツリとつぶやきました(たぶん)。
「改造は……いいんだよな」
 次の日からJPN−30は姿を消します。しばらくして、再び彼女が姿を現したときだれもが目を疑い「まさか、それはねぇよなぁ」と思ったでしょう。
 <ワン・オーストラリア>よりもすこーし幅広く見えるものの、とてもよく似たバウと、とてもよく似たスターンを持った船がニッポンチャレンジのベースキャンプに置いてあったのです。そこにはこんな看板がたてかけてあったのでした。
<JPN−30
 そうです。それはJPN−30なのです。たと船体中央部2mくらいだけを輪切りにして残し、そこに<ワン・オーストラリア>のコピーに見えるバウとスターンがくっついているものであっても、それはやはりJPN−30なのだっ!
 ……当然、非難の嵐でした。
 ただ、「だってルールに新艇の定義なんて書いてないしぃ、改造は改造だよねぇ」というニッポンの言い分は、ルール解釈さえ争うア杯では、当然の戦略かもしれません。ということにしておきましょう。一斉に出されたプロテスト「ありゃもう新艇だろもう日本は新しいの作っちゃだめ」は結局却下されました。
 
 で、レースの方はどうなったかというと。大変なことになっていました。
 事前の予想では、「LV杯オーストラリア圧勝は確実、おそらくそのままア杯本戦も勝てるんじゃないか?」というのが圧倒的でした。
 対抗馬としては、前回LV杯で最速とされながらも決勝で敗退した<チーム・ニュージーランド>でした。そこそこの資金にも恵まれ、ほぼ同時に本番用の2艇を進水させてテストを繰り返すという新しい手法、第1世代とも<キューブ>路線とも明らかに違う船体形状、そのどれもが不気味でした。
 で、レースが始まります。LV杯序盤、数レースが消化され、<ワン・オーストラリア>が他艇を圧倒しますが、それをさりげな〜く敗ったのはやはり<チーム・ニュージーランド>でした。オージーとキウィの評価が逆転するのに、それほど時間はかかりませんでした。
 それどころではありません。NZLの強さは圧倒的でした。どうやら本番前は三味線をひいていたようです。上りの走りなどでは、テレビ画面上でも分かるほどの角度と低速の差でした。
 ヤバい。このままだと早くも結果が見えてしまってLV杯が面白くなくなってしまう……とだれもが思ったでしょう。それほどの差がありました。で、次に思うのが、「<ワン・オーストラリア>、NZLをなんとかしたってくれぇ」ってなところでしょう。LV杯も中盤になって投入された<ワン>の2艇目、AUS−34です。こいつはたしかに速かった、NZLには叶わなかったものの、あきらかに1艇目よりも高いパフォーマンスを見せつけ、何か改造で大当たりでもすればもしや、という気配がありました。
 そこに起こったのがあの大事件。IACC沈没事件です。
 強風の上りでした。ジブ用のウインチが壊れた<ワン・オーストラリア>は巨大な負荷のかかるジブシートを船の後部にあるランナー用のウインチにリードしていました。限界まで軽量化された艇体はその巨大な負荷に反り返っていたことでしょう、そこにちょっと大きめの波によるパンチが加わりました。
 ばきっ。
 とかいう生やさしい音ではなかったはずです。ペラっペラの船体はまっぷたつに割れ、20tものバラストに引き込まれたIACCはあっというまに深い海底へと姿を消しました。AUS−34は今でもサンディエゴの海に眠っています。オーストラリアはしかたなく一号艇AUS−31の改造に全力をそそぐことになりました。
 これで敵のいなくなったNZL、無敗のままレースを勝ち抜き、周囲がうすうす予想していたとおり、ア杯本戦も無敗で圧勝し、カップは再び南半球に渡ったのでした。
 ちなみにこの時、防衛艇代表はコナーのスターズ&ストライプス。明らかに自分より速い<ヤングアメリカ>相手に見事勝利して防衛艇となったのは良かったんですが、ここでまたもや「ア杯にしかあり得ない珍事」が起こりました。だれもダメって言わなかったじゃん、といういつもの理屈で、コナーは決勝で勝った相手のヤングアメリカの船を使ってア杯本戦に望んだのです。たしかに船はヤングアメリカの方が速かったですから。そんで負けてりゃ世話ないわね。ま、防衛艇代表に返り咲いたとたんにまたアメリカの負け〜とは……不幸。
 コナーは「初めてカップを取られて」「初めてカップを取り返して」「初めて2回取られた」アメリカ人となったのでした。いろいろ問題ある人みたいだけど、こんだけやりゃやっぱMr. America's Cupだよね。ちゃんちゃん。
 
 
<2000>
 
 で、カップはニュージーランドのオークランドへ。さすがヨットが国技、な国柄。前回ア杯の最高視聴率は90%を越えたとか。ほんまかいな。
 サンディエゴよりは良い風が吹くだろうということで、派手なレースに期待大。
 各チームとも開発には苦労した模様。2ボート平行キャンペーンの優位は前回のNZLが証明したとおり、各チームとも似たような2艇を建造するところが多かった。設計思想は当然前回のNZLの系列が多い。
 どんな船でしょ。ということで、前回のニュージーランド艇、NZL−32とNZL−38のおさらいをしてみると、幅は十分に狭く、ハルのフレア(張り出し)は少なく断面はとにかく丸い。これはヒールを抑えるためには(つまりフォームスタビリティを稼ぐため)には不利な形だが、ヒールしたときの接水面の形状変化を最少にできる、というメリットがある。つまり30mオーバーのマストに張られたセールと、25tのバラストが喧嘩してる間で、ちょっとやそっとハルが踏ん張ったってなんもならん、せめて邪魔せんとってくれや、みたいな感じか。
 んで、オークランドはハウラキ湾には、それを真似した細〜くて、丸っこい船が集まった。
 当然日本もその路線だった。今までは艇名はシンジケート名と同じ<ニッポンチャレンジ>だったけど、今回はJPN−44<阿修羅Asura>、JPN−52<韋駄天Idaten>とか名前を付けて気合い入れた。でもちょっと見た目に設計が中途半端だったかなぁ。<阿修羅>は強風用、<韋駄天>は微風用としてほぼ同時に進水、チューニングが行われていたが、<韋駄天>の方が少し速いんじゃない?ってのがおおかたの見方だったかな。でも日本は最後まで<阿修羅>を使い続けた。韋駄天も使ったけど。なんでだったんだろ。結局、3回続けてセミファイナル4位。んんー。
 で、結局カップはどーなったかというと。
 前回カップがオーストラリアに渡った時と同様、「カップを返せ〜」のアメリカ勢が大量エントリー、なんと5チーム。チーム運営でいつも失敗するコナーはこのときも1ボートでのチャレンジとなりいつのまにか姿を消す。結局残ったのは<アメリカ・ワン>とイタリアの<プラダ・チャレンジ>である。このLV杯決勝、大激戦。90年代ア杯では間違いなく最高のマッチだったでしょう。性能は互角、腕は良い、トラブルも少ない。ランニングで追いついてきた相手を風位向いて動けなくなるまでカチ上げたり、15ktで疾走しながらインに潜りこもうと相手のスターン2cmをかすめてジャイブしてみせたり(ってスキッパーから見てバウって20m離れてて……ようやるわ)、いやぁ、おもしろかった。結局4戦先勝方式のファイナルはフルカウントまでいって<プラダ>の勝利。
 こりゃスゲぇ、さすがのニュージーランドもヤバいって──とだれもが思った。
 だってね、前述のとおり、かかる資金がとんでもないので、キャンペーンには国力が反映される。マジで。5艇ぶんのスポンサーが見つかるアメリカとはちがって、ニュージーランドでは1チームが精一杯。つまり<チーム・ニュージーランド>は本番まで自分たちだけで、レースをすることなくテストを続けるしかないわけ。それは厳しいわなぁ。
 ところが、ところが、ところが。またしてもキウィたちは奇跡をおこして見せる。だれもが「なんじゃありゃ」と首を傾げていた不思議な船体。やはり狭く、前回に比べてさらに丸っこく、不思議な形をしたバウ、見たことのない形のシュラウド(サイドステー)などなど……。彼らがセーリング王国の意地と誇りをかけて作った<ブラックマジック>は──速かった。とんでもなく速かった。
 本戦が始まった。つまらないレースが続いた。しかし、見ているものは誰も文句を言わなかった。そこにあるのはただただ畏怖の念だけだった。バランスという点で、最もオーソドックスで整った姿をもつプラダ艇<ルナ・ロッサ>を遙か数百m彼方に引き離す、黒き魔術師<ブラック・マジック>……
 ア杯本戦は4レースで終わった。
 このとき、95年LV杯からの<ブラック・マジック>不敗神話が誕生。
 140年のカップの歴史に、またひとつ新しい伝説が生まれた。
 
 
<そして……>
 
 アメリカ以外で初防衛を果たしたニュージーランド。
 2003年ア杯は再びオークランド・ハウラキ湾で行われている。
 前大会以降、チーム・ニュージーランドは数々のトラブルに見舞われた。そのうち最大の問題は、チームの中枢となる人物の流出だっただろう。
 まずは前体会でニュージーランドの英雄となったスキッパー、ラッセル・クーツのスイスへの移籍。続いて、2大会連続の不敗神話を支えた<ブラックマジック>設計リーダー、ローリー・デビットソンがチームの中枢ごとアメリカの<ワンワールド>へと移籍したのである。
 少ない資金で圧倒的なパフォーマンスを見せたのは、この二人によるところが大きかっただろう。IACCになってから4回目のこの大会、どのチームもかなり実力は拮抗してくるはずだ。そんな中ではたしてNZLに勝機はあるのだろうか。単純に考えてかなり不利なはずだが、こんどはどのメディアも「NZL不利」とは声高には主張できないでいる。過去2大会にわたって、その予想は外れ続けているのだから……。
 
 さて、LV杯に参戦しているチームを少し紹介してみよう。
 今回残念ながら日本からは参戦していない。する気は十分にあったのだろうが、前述のとおりこの大会には国の経済力が影響する。勝つためのチャレンジには3ケタ億円からの資金が欲しいところだが、今の日本の経済状況ではとてもそんなスポンサーは付かなかったということだろう。ただ、全体会の日本艇スキッパー、ピーターギルモアとマッチレースシリーズに参戦していた日本人クルー早福選手、脇永選手が<ワンワールド>に乗っており、設計チームの技術陣が<阿修羅><韋駄天>とともにイギリス<GBRチャレンジ>に参加している。
 
 まずは、前回LV杯優勝、十分な資金と準備期間、ということでイタリア<プラダ>チャレンジが有力チームとして挙げられていた。前体会が終わるとすぐにトレーニングと開発に移った彼らは、前大会と同じコンセプトのITA−76<ルナ・ロッサ>を作った。相変わらずバランスの取れた美しい船だが、ア杯設計の常識と、前回本戦の結果からすると、いま思えばキープコンセプトは「???」だよなぁ。結果的にラウンドロビン1では後述の有力艇に全く歯が立たない状態。設計のトップがクビになったとか、ゴタゴタが始まっている。2号艇ITA−80がニュージーランド入りしたが、これも同じコンセプトに基づいて造られており、最新情報では危機感を募らせた<プラダ>は一号艇ITA−72の大改造に踏み切っている。どうやら今更ながら前回のNZL艇方向(ミレニアム・ジェネレーション・モデルとか呼ばれる)への改造らしい。ダブル・ナックル・バウ(暇があったらまた解説します)を採用し、ハル全体にも手を加え、リグ、セールも見直したという。当たればよいが、なんだか95年大会のJPN−30を思わせるエピソードだなぁ。大丈夫かなぁ。
 
 <オラクルBMWチャレンジ>。アメリカ。世界で第?位とかいうお金持ちがチームオーナーで、さらにBMWがスポンサーについた。資金的に優位に立つ。設計はあのブルース・ファーのチームが担当。前評判から相当高かった。もちろん2ボートチャレンジであり、RR(ラウンドロビン)1には1号艇を投入。丸みの少ないハルやシャープで少しシアーラインの上がったバウはいかのもファーらしい。かなりのポテンシャルを持っている。2号艇がどれほどのものか、楽しみである。優勝候補筆頭にあげられる。
 ちなみに、オーナーは超がつく日本かぶれであり、生粋のアメリカ人にもかかわらず<さよなら>というILC−maxi(70ft)を建造し、ドでかい日の丸スピンを上げてグランプリレースを転戦していた。なんでやねん。ただし、この大会では昨今のアメリカの事情を反映して、国名を艇名に入れたいと、<USA−76>と艇番をそのまま採用している。残念。最近、チームには参加していたものの船には乗っていなかったクリス=ディクソンがセーリングチームに参加したもよう。
 
 <ワンワールド>。アメリカ。こちらもオーナーはお金持ち。資金的にはゆとりがある。前述の通り、前大会の日本チームから、スキッパーのピーター・ギルモア、早福選手、脇永選手が参戦している。ローリー・デビットソンが設計担当なのも前述のとおり。やはり艇は前回の<ブラックマジック>からの完全なキープコンセプトと言える。<プラダ>や新しいコンセプトの<オラクル>と比べると面白い。結果的は最も速い艇の一つであることは間違いない。2ボートの2艇目を投入してきたが、ほぼ同時に進水しているため、とくに新しい方を早速投入、という切羽詰まったものではないだろう。RR1は無敗であったが、個人的には先が不安である。他のチームはかなり新しい新艇を投入してくるのだから……
 
 <アリンギ>。スイス。こないだ「スイスが勝ったらどこでやるんやろなぁ」という話が出たが……どこでやるんでしょ? それはさておき。ここも前評判が高かった。資金などのチーム態勢も十分だったし、前述のラッセル・クーツが移籍したことで、一気に注目を浴びるようになった。NZLの人々はクーツが本戦まで勝ち上がってきて、<ブラックマジック>にボッコボコに負けるところが見たいようで、LV杯の間はクーツを応援しているらしい。メディアにも良く出てくる。前大会にも「2003大会への経験を積むため」と明言した上で参戦し、そこから十分な準備を行った。バランスの取れたチームといえるだろうか。2ボートでそつの無いチャレンジを行い、前述の<オラクル><ワンワールド>とともに優勝候補筆頭3チームの一角をなしている。RR1には1号艇を投入、<ワンワールド>に一敗したのみであり、今後に期待である。
 
 <チーム・デニス・コナー>。アメリカ。やっぱア杯に<スターズ&ストライプス>が走ってないと絵にならないでしょ。毎年チーム運営が下手なコナーさん。今年はそこそこお金も集めて彼としてはIACC初の2ボートチャレンジが組めた。人に関してもアイスラーやケン・リードなどの有名人を集めて今までとは比べモノにならない充実した体制である。まぁ、前の3チームには比べるべくもないが……。逸話としては、アメリカで進水させたばかりの2号艇のラダーシャフトがモゲて船底に大穴が空き、水深30ftの海底に沈んだというのが夏に話題になった。とりあえず直ったようでヨカッタヨカッタ。ちなみに船は、ステムが普通と逆に傾斜している、つまり横からみるとアゴが出たようなバウになっているのが外見上の特徴である。なんだかなぁ。水面下のアペンテージ(キールとか付属物)を上架中も全く隠そうとしないのが潔い。個人的にはあのカラーリングが大好きである。渋くて、スマートで、最高。RR1の結果からすると、上のトップ3を追う位置にあり、後述のスウェーデンと直接争うことになるのだろうか。ただし、S&Sは少なくとも前評判を下回る闘いをしたことが無い。なにかやらかしてくれるかもしれない、と個人的には期待している。
 
 <ビクトリー・チャレンジ>。スウェーデン。「本命」3チームに対してコナーが「対抗」なら、スウェーデンは「大穴かも」という予想が多かった。あるいは両方「対抗」か。たしかにRR序盤で、1号艇<Orm>(Oの上には・・が付くんだけど出し方がわからない。エルム)はS&Sを圧倒してみせた。こりゃ速いかもしれん、ということになっている。設計はオーソドックス。2号艇にはこないだ急逝したオーナーの魂を込め、サタンの化身を意味する<Orm>(今度はテンテンなし)と名付け、まもなくRRに投入されると思われる。本気のチャレンジのようだ。
 
 <GBRチャレンジ>イギリス。資金的、態勢的に苦しいとされながらのチャレンジ。前大会のニッポンチャレンジから技術人が参加。2ボートをもちながらギリギリまでそれを隠してキャンペーンを張るという前回の日本と同じ戦略を取った。意図は不明。<阿修羅>と<韋駄天>をトレーニングボートとして買い取った。なんだかおとなしい設計ではあるが、後方がクローズドデッキになっているところは目を引く。さすがに勝つのは難しいのではないかと言われているが、チームとしては本気であり、その気合いに見合ったレースを展開している。健闘に期待しよう。
 
 <ル・デフィ・アレバ>フランス。日本と同じく3大会続けて苦杯をなめ続けたフランスだったが、今大会も苦しい状況ながらも続けて参加。前回までは<ル・ディフィ>というチーム名だったが、スポンサー名「アレバ」がひっついた。フランスといえば説明するのがめんどくさくなるほど変わったアイデアを次々と投入してきたことで有名。自分の知る限り何一つ成功していないが。
 とにかく資金的に悲惨な状況にあるといわれている。2ボート(片方は前大会の艇の大改造版)あるのだが、相変わらず変わった船だ。前大会でトンでもなく細い船を造って周囲を驚かせたが、今回も相変わらず細い。そして写真で見る限りスターンの絞りこみが極端! なんか写真でみると一瞬「どっちが前だか分からん」と思ってしまう。インパクトは強いがやはりそれほど速くなかった。なんとなく写真をどうぞ。次へつなげるチャレンジ、という意図が表に立つ。なんだか、応援したくなる。がんばれ。
 
 <マスカルツォーネ・ラティノ>イタリア。おお、イタリアっぽい名前だ。イタリアから<プラダ>とともに2チーム目のエントリーである。半分趣味の参戦? 資金不足で自他共に勝つ見込みは無いと認められている。チーム態勢を見る限り、「次につなげる」意図も感じられにくいのだが……。昔、オーストラリアからポケットマネーで参戦し続けた人がいたが(シドニー95)、同じノリなんだろうか。とにかくイタリアでは前大会からア杯が盛り上がっているようで、そのおかげで実現したチャレンジといえるでしょうか。RR1で一勝も出来ず。応援しましょ。
 
 さてさて、みなさんの予想はどうでしょうか。
 話はLV杯だけでは終わりません。勝者は不敗神話、<ブラック・マジック>に挑むのです。練習レースでは「あんまし速くない」と噂の新<ブラックマジック>ですが、レース前の情報がアテにならないのは8年前から彼ら自身が証明しています。
 さあ、どう予想しますか?
 
 
 オークランドに集まった、世界屈指の船乗りたち。
 そのレースには賞金はありません。個人へのメダルもありません。
 There is no second...
 たった一つの至高の銀杯をめぐる想いに満ちて、
 南半球がいつもより熱い夏を迎えます。