■■ 徒然書 ■■ 2002年
7月 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
■2002年7月31日 (水):夏休み 今日から夏休み。と言っても、講義がないだけで、研究室は休みではない。「年中無休24時間」。それが理系の研究室だ(特に年明けの卒論・修論発表前は)。夏休みに入っても、週に1回の研究報告(週レポ)はある。休む時は「いつからいつまで〜行きますー」と先生に報告してからどっかに行く。給料もらって働いている訳ではないので、そこまで厳しいわけではないが。反対に授業料を払っている。研究室や大学のために研究しているのではなく、自分のためにやっているのである。だから、研究しようが休もうがある意味勝手、ってとこが社会人との違いだろう。良くも取れるし、悪くも取れる。 ■2002年7月30日 (火):モルツ
■2002年7月29日 (月):夕焼け
■2002年7月28日 (日):吉野川花火 光応用工学科の「研究室対抗ソフトボール大会」の日であったが、しなあかん事が全然終わっていなくて、行けずじまい。うちの研究室は去年最下位やったのに、今年は2チーム出して、1・2位やったらしい。やるな。
■2002年7月27日 (土):リナレス キューバからきた中日の新外国人リナレスが来日初ホームラン!昨日まさかのサヨナラ負けした阪神に完勝!しかし、2〜5位のゲーム差は少ないが、首位巨人がなかなか負けなくて独走。夏はこれからなのに・・。キューバの怪物リナレスの爆発に期待しよう。 ■2002年7月26日 (金):夏 昨日まで3日連続6時半起きだったので、今朝も疲れているのに7時ごろ目が覚める。暑い日が続くな〜。夏休みみたいな雰囲気が漂いだした大学キャンパス。ついに電気電子棟の工事も始まったようだ。中日は阪神にサヨナラ負け・・。エラーでさよならとは・・。はい、さようなら。この分は打撃で取り戻せ、蔵本! ■2002年7月25日 (木):藍場浜花火 ヨット研修の3日目。今日は午前も午後もフル参加。3日目となると慣れはでてくるが疲労もたまってくる。台風9号の接近で、中止かもという話もあったが、予想に反して午前中はベタベタ、風が無い。台風の影響でうねりというか波は大きく流れが異常に速い。風がなくなると、川なので流される一方。パドルで漕ぎ続けてほとんどヨットらしさを教えられずに終わる班もあった。昼からはやや強風になり高校生同士で乗せるわあけだが、修羅場まではいかないが、バタンバタン倒れる。レスキュー部隊は大忙しであった。夜は藍場浜で花火に日であったが、高3の家庭教師があったので、ドカンドカンという花火の音だけを聞けた。帰りに藍場浜によって夜店のタコ焼を買って帰った。帰った後は、たこ焼食いながらニュースステーションを見ていたら、いつの間にか寝ていた。
「日本の癌は大学入試」「洗脳教育されている」「私は切れました→怒りのブレークスルー」「設備があるので大学がベンチャー企業の中心になるべきだ」「大学教授が豪邸に住めば学生のやる気がでる」「今の日本の繁栄を築いたのは理系の研究者だ!」という話。ズバズバ話とこが、さすがアメリカの教授だと感心。これから日本は変わっていくのだろうか。 ■2002年7月23日 (火):ヨット研修 今日から3日間は城ノ内高校のヨット研修のバイト。場所は吉野川。高校2年生を3日間で全員ヨットにのせるというもの。徳大ヨット部がインストラクターとして手伝う。今年で参加するのは5回目。いつの間にやらベテランになっていた。朝6時半に起きて、集合は7時半。早起きするのは久し振り。使うヨットは「シーマーチン」という二人乗りのおもちゃヨット(スナイプや470に比べたら)。艤装もシンプルですぐにセッティングできる。午前中はヨット部員はワンツーマンで高校生を乗せて教える。午後からは、高校生だけで2人乗りさせる。当超初心者だけで乗せるわけだから、風が上がれば沈艇続出で、起こせない時はヨット部員が飛び込んで助ける。今日の午前中は弱すぎず強すぎずの調度良い風で、教えるのも楽であった。午後からは講義と輪講があったので大学へ。夜はハッピーのトレーニングジムのバイト。なかなか肉体的にハードな一日だった。 ■2002年7月22日 (月):講演会 青色LEDを発明して有名になった中村修二教授の講演会があった。これは毎年、出身の徳島大学で行われるもので、今回で聞くのは3回目。日亜との裁判中なので、現在中村さんがサンタバーバラ(アメリカ)でおこなっている研究に関しては話せないらしく、日本の教育制度や、アメリカと日本の大学院の違いについての話であった。中村さんが書いた本を読んでいたり、これまでの講演で聞いて知ってる内容が多かったが、大学院時代の話や日亜での開発時代の話は初めて聞くもので面白かった。うちの教授が助教授だった頃の研究室に中村さんがいたらしく、その頃の研究室は毎週1回は飲み会をしていたらしい。「大学受験制度」が「日本の癌」でありこれを廃止せよ!っていうのが中村さんの主張。そして「君達は洗脳教育を受けてきた」。やりたい事の我慢を強要して大学受験に専念させるのが今の日本の教育になっている。おかげで、夢を持たない大学生ばかりができる。しかし、これを変えるという事になると、結局は「政治」という事になる。他にも色々あったがだいたいこんな話であった。 ■2002年7月21日 (日):四国八十八ヶ所(2) いつも借りるレンタカー屋でマツダの「キャロル」を借り、親を乗せ徳島の下の方の八十八ヶ所の寺を回った。「18番恩山寺→ 19番立江寺→ 20番鶴林寺→ 21番太龍寺→ 22番平等寺亜→ 23番薬王寺」という順序で6寺まわった。結構山奥の寺もあり、道が狭いとこの対向車とのすれ違いは苦労した。四国に住みだして5年目になるが、本格的に四国八十八ヶ所の寺を回ったのは今回が初めてである。
■2002年7月20日 (土):四国八十八ヶ所 両親が四国八十八ヶ所めぐりを始めるというので徳島にきた。今日は1〜3番の寺を回ったらしい。夕飯は徳島で一番美味いと言われる焼肉屋に行った。その後、最近できた「あいあい温泉」にも行ってくる。温泉はえーなー。この夏はいきまくろう。 ■2002年7月19日 (金):カルボナーラ
■2002年7月18日 (木):沖縄そば
■2002年7月17日 (水):CGI CGIが使えるサーバのスペースを手に入れたので、さっそくCGIを色々捜してす。ヨット部のHPの予定表に使う「カレンダー」のCGIを捜す。これっといったベストなCGIはなかなか見つからない。しかし、やっぱホームページはCGIが使えると面白さが増すな。5倍ぐらい。今は改造やちゃちいCGIしか作れないが、いづれは本格的な自作CGIが作れるようになりたい。 ■2002年7月16日 (火):明石大橋
■2002年7月15日 (月):文庫本 実家でごろごろしていた。本屋で「永遠の仔」で有名な天童荒太の文庫本を買った。タイトルは「孤独の歌声」。サスペンスで、「永遠の仔」みたいに一気に読んでしまった。 ■2002年7月14日 (日):kiwihouse
■2002年7月13日 (土):祇園
■2002年7月12日 (金):東大ラーメン
■2002年7月11日 (木):写真 四国インカレの写真をヨット部のHP「白南風」に大量アップ。デジカメの写真なので、リサズして解説をつけるだけなのでまだ楽である。デジカメを買う前は写真を一枚々スキャナで読み込む作業があったので、時間がかかり大変だった。いい時代になったもんだ。 ■2002年7月10日 (水):集中講義 「超伝導」の集中講義2日目。話の2/3は理解不能で、残りは「なるほど」とちょい教養になった。やはりこの手の話を理解するには量子力学の知識が少なすぎる。大学院は講義は少ないが、集中講義はしょっちゅうある。学部時代の講義よりかは集中講義の方が面白い。しかし、・・・睡魔だけはどうにもならないな。インカレが終わった後だけあって、気が緩むとすぐヨットの事を考えながら別の世界に行ってしまう。 ■2002年7月9日 (火):台風 トレーニングジムHAPPYのバイトにでかけた時は全然だったのに、11時過ぎ仕事が終わり帰る時は、徳島に接近中の台風の影響で、もの凄い土砂降りの雨だった。自転車で傘をさすも気休め程度。溝から雨もあふれでていた。こりゃすごいなーと半分関心して、びしゃびしゃに濡れながら帰った。四国三郎(吉野川)があふれないかとちょい心配。 ■2002年7月8日 (月):移転作業 新しく設置したサーバへの一部移転作業をする。思わぬエラーが色々でて時間がかかった。作製する時に、将来の移転を考えながらせないかんな。有料の正規会員のサーバだけあって使い勝手は快適だ。 ■2002年7月7日 (日):初総合優勝 研究室の同期が高松に行くというので、乗せてもらう。徳島出発が、はじめは10時の予定であったが、出艇の8時の前に高松に着きたかったので6時(はや!)に出発にしてもらった。感謝感激!早朝で道がすいており、途中から高速も使ったので7時半過ぎに高松市営ヨット競技場に着いた。レースの出艇前の緊張感漂うハーバー。OBになっても、この緊張感で胃に微痛が走った。やはりプレッシャーに弱のか。現役の時は海上にでて、第一レースがスタートすればこの緊張感は無くなっていたのだが。レースメンバーを送り出した後は陸で観戦。双眼鏡を使えば、どこの艇がどうだかは何とか判別でき、久し振りに浴びるクソ暑い直射日光の下で一喜一憂した。四国水域の全日本インカレの出場枠は各クラス上位2チームまでである。結果はスナイプ・470両クラスとも全日枠には届かなかった。しかし、団体戦で総合優勝!持ち回りのどでかいトロフィーがを獲得。徳大の総合優勝は初めてだそうだ。応援に行ってた学内OBは喜んでいたが、現役は全日枠を逃し、かなり口惜しがっていた。総合優勝は、部員減少の御時世で、レース艇を6艇だし、さらに下級生のレベルUPをはかり、今回だけではなく来年以降にもつながる、まさに名前のとうり「部の総合力」がためされる。そこでの初優勝の意味は大きい。2ヶ月後には松山堀江で四国予選「団体戦」がある。ここで、今度こそ全日枠を取ってほしい、と思うOB1年生であった。 ■2002年7月6日 (土):インカレ開催中 研究室の週レポ報告会が午後にあるので、インカレ会場の高松に行くのは明日から。午前中に研究室にいると、今行われているであろうインカレのレース結果が非常に気にある。台風の影響で最悪の場合、レース中止もあるかも、と思われていた。徳島市内はめちゃめちゃ強風であったが、さすが瀬戸内の高松ということで中止になるほどの風ではなくレースは予定どおり始まったようだ。HPの掲示版などをみてまわってレース速報穂の情報を捜す。先にいって行っているOBから「第一レースで95が1位!」という電話がくる。しかし、次は2Rでリーコール。一喜一憂というかんじ。はやく高松にいきたかった。車を持っていないのはこういう時に辛い。 ■2002年7月5日 (金):インカレ前夜 今週の週レポのテーマは「TiO2のラマン分光測定」であったが、測定はすでに終わっているので、ラマン分光に関する基本的な勉強と、測定結果の考察。印刷締め切りにぎりぎり間に合った。明日からいよいよ高松でヨットの四国インカレ個人戦!台風2つが接近しているので、強風が心配される。高松はいつもベタベタ(風が吹かない)とこなので、ちょうどいい具合の風になるのかも。自分が出場せず、応援しにいくインカレは今回が初めて。選手ではないから気は楽だが、やはりインカレ前日はドキドキする。 ■2002年7月4日 (木):WEBスペース HPはso-netに置いているが5MBしかなく、そろそろいっぱいになりそうである。フリーWEBスペースのCOOLにも一部置いているが、無料だけあってPOPUP広告が入る。なので、この機会に思い切ってCOOLの正規会員に登録した。もちろん多少の出費(月500円+初期登録費用)はかかったが、300MBのスペースとCGIが使える!ってなわけで、ストップしていたCGIの勉強も再開しよう。 ■2002年7月3日 (水):やる気 すべき事とやりたい事はたくさんあるが、なかなか一度にはできない。何から手をだして行くべきか。「やりたい事から」というのが答えだろう。完璧をめざしては効率が悪い。今週はラマン分光について勉強中。TiO2のラマンに関しては資料があまり無い。そーいや、ゾルゲルの英文も読まないかん。時間はあるので、用意すべきは「やる気」だな。それにしても、中日は負けてばかりだ。 巨人だけには負けてはいけないのに。 「やる気、その気、死ぬ気」 土方歳三 ■2002年7月2日 (火):アジ ムンムンして凄く蒸し熱い。梅雨の蒸し暑さを実感。みんなが不快々というほどには感じないのは、長年京都の蒸し暑さの中で過ごして来たせいだろうか。夏でも湿度的に徳島の方が過ごしやすい。けど、蒸し暑くなってきてやっと夏だなーという気がする。なんか、夏休みの匂いが漂ってくる気がして懐かしい。例えば、プールの塩素の臭いだとか。小学校の夏休みが「一番楽しみにしていた時期」ではないだろうか。これからは、潮の香りと、漁師網の強烈な臭いをかいだら、「櫛木漁港の艇庫=ヨット部」を思いだすんだろうな。シップやコールドスプレーの臭いではバレーボール部(体育館)を思い出し、汗と土の臭いはラグビー部(グランド)を思い出す。研究室は前期と夏休みの境目が無く、夏休みという新鮮味はない。
■2002年7月1日 (月):W杯終了 波乱尽くめだったW杯は、終わってみれば「ブラジルの優勝」という妥当な 結果であった。やはり王者は王者、という事か。 そんで、学生ヨットの四国インカレ個人戦が今週の日曜にある。 W杯で優勝したブラジルは「カナリア軍団」。 我徳島大学ヨット部のウインドブレーカーカラーは「カナリアイエロー」。 「カナリア」つながりということで、今週末の結果が楽しみだ。もちろんOBとして高松に応援に行く予定。 [裏白南風] |
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