■■ 徒然書 ■■  2002年

  8月  
 

■2002年8月31日 (土):週レポ

結局今週も週レポを書き終わるのが、土曜の朝になってしまった。昼1時から発表やからそれまでにできたらいいのだが、最近だんだんギリギリ度が高まってきた。


■2002年8月30日 (金):大三元

息抜きに研究室の人とネット麻雀をしていたら、大三元!親、割目などもついて96000点!


■2002年8月29日 (木):クーラー

大学院1年になってから光棟1階の研究室にいるのだが、クーラーが壊れていまだに直っていない。窓も小さくめちゃ暑い。早く直ってくれー。秋がきてしまう。


■2002年8月28日 (水):串八

夜研究室のメンバーで大学近くの居酒屋「串八」に飲みに行こうという事になり、夕飯を食った後9時ごろから閉店までいた。夏が終わる前に夏ビールを味わっておかなくては!


■2002年8月27日 (火):県警

朝8時から夜7時半まで県庁の横にある県警へ。こう書くと何かしでかして、取り調べを受けたみたいだが、そうではなく体力測定のバイト。県警の採用試験の面接の後に体力測定があるのだが、それをHAPPYが行っている。面接を受けた後やから皆緊張して、はじめから脈拍数がやたらと高い。今回はいつもの測定項目に「懸垂(けんすい)」が加わった。女子は「ななめ懸垂」。1回でも多くやろうと皆必死だ。HAPPYのポロシャツを着ているのだが、受験者からは職員に見えるのか、何度か「試験の結果発表はいつですか?」とか質問された。そーいや、半年後には就職の面接を受けているんだよなぁ。
中日は阪神に9回まで1-0で勝っていたが、抑えのギャラ−ドが打たれ、無死満塁から死球押し出しで同点。朝倉の9勝目が消えた。さらに「サヨナラ負けか〜」というピンチであったが、不調の阪神に助けられ延長戦へ。さらに最後は雨天中止で引き分け。 勝てなくて残念なのか、負けなくて良かったのか、よーわからん試合であった。


■2002年8月26日 (月):飲み

昼間にインカレの結果を白南風にUP。夜はハッピーの仕事仲間で飲みに行った。


■2002年8月25日 (日):団体戦

四国インカレの団体戦。四国の全日本インカレ出場枠は、両クラス(スナイプ級、470級)の各優勝チームのみという狭き門。3艇の合計ポイントで勝負が決まるのがヨットの団体戦である。2日間で7レースあるのだが、昨日の4レ−スが終わった時点で、徳大は両クラスで2位、総合1位。スナイプは1位の愛媛大がぶっちぎりであったが、470の方は1位の香川大とわずか3点差!団体戦なのでほぼ同点である。2日目の残り3レースで全日出場校が決まる。
朝5時40分の起床。最近「おはようマスター」というものはないらしいが、起こさなくても皆起きる。今回の宿舎である「堀江公民館」はめちゃめちゃ広くて何人でも泊まれそうであり、寝袋で好きな場所に雑魚寝。6時半には会場へ出発。会場の堀江海水浴場は昨年中四大会があった場所である。夏休みの日曜という事もあり、ヨット以外にも海水浴の家族連れや水上バイク、ウインドサーフィンの人でにぎわっていた。鳴門の徳大艇庫周辺と全然景色が違うな。団体戦なので個人戦のときほど艇数が多くない。スナイプ12艇、470が9艇。艤装完了から出艇までは結構時間があった。レースメンバーは思っていたほど緊張の様子はみられない。リラックスムードが漂っているようにも見える。送り出すこちらの方が緊張していたのかも。出艇時間の8時になり、470、スナイプの順で海面へ出て行く。それを下級生とOBがエールで送り出す。後はレースメンバー12人に任すのみである。
レース開始予定時間の9時が過ぎたが風が弱くレース延期。11時ごろ風が吹きだし第5レースがスタート。双眼鏡がなかったので陸から徳大艇とわかるのは470のスピン色のみ。1上で1、2、4位で徳大色のスピンが上がる。「おー!」と沸く陸の観戦組。しかし、フリーで団子となり順位を落としたようだ。こんなかんじで470のスピンでレース展開を楽しむ。スナイプは各艇の判別ができないのだが、第6レースで一上回航後、1位艇がぶっちぎりであった。はえーなー、また愛大か、と思っていたが実は徳大の29809であった。やるな鰹&風ノ股三郎。第6レースが終わり、残り1レースとなった時点でスナイプ、470の1位はほぼ決定。しかし、総合は徳島大、香川大が同点!だが海上のレースメンバーはこれを知るよしもない。 そして運命の第7レース。結果的には4年生の最終レース。結果は1点差で徳大の総合優勝!わずか1点差であるから、1艇順位が変われば2点変わり逆転を許す。「あそこで抜いていなければ〜」と鰹が言っていた。どんなレース展開があったかはわからないが、6艇すべてが関係したまさに団体戦ならではある。両クラスとも準優勝で全日出場は今回も逃したのは残念であるが、個人戦に続いて「総合優勝」。 おめでとう!


■2002年8月24日 (土):出発

週レポの発表が終わり、うどん工房でひやひやを食った後、HPを更新。インカレの速報は携帯から掲示版に書き込む事にして、夕方レース会場の松山堀江に向けて出発!初日のレース結果をまだ知らないのでちょいドキドキ。期待半分、不安半分。


■2002年8月23日 (金):ダブル

曜日がずれて、家庭教師の2連ちゃん。教える場所が近いのが幸い。また、家庭教師は教えていると時間があっという間にたつので、まだ楽といえば楽である。週レポやらないかんなぁと思いつつ文庫本に熱中する。追い込まれなくてはできない、というより追い込んでしまうのは昔からの習性だろう。昨年の今頃、院試勉強と、ヨット部の引退レースとなった団体戦のため「時間がねぇ〜。やばい。」とあせっていたのが懐かしい。明日がいよいよその団体戦。がんばれ、徳大ヨット部!


■2002年8月22日 (木):夏ボケ

お盆の週は休みであったが、それ以外は大学が夏休みであっても研究室の週レポはある。しばらく研究室を離れていたので、頭が夏ボケでボケボケ。全然やる気がでてこないのだが、週レポの提出日がやってくる。困ったもんだ。


■2002年8月21日 (水):映画

「冷静と情熱のあいだ」は原作が江國香織で、竹野内豊主演、ケリー・チャン、篠原涼子がでている。こいつを小さいテレビビデオで観た。液晶やプラズマデスプレイがでまわっている現在、ブラウン管テレビはやたら分厚いなぁ、と最近思うようになった。時代の流れとはこういうものだろう。映画は予想通りいまいちという感想。女性に人気がでそうな映画であった。原作者の江國香織がそういう人気作家であるのだが。吉本ばななと江國香織が同じ分野にあって、いまいち好きではないんだようなぁ。ひねくれか。

夕陽

 

城山の方角に沈む夕陽。一日が終わる(はずなのだが・・)。日の出を見るのも好きだが、旅行やヨット部の遠征などの活動の時ぐらいしかみれない。家の窓が東西なので、窓を開けて寝ると朝日の日差しがもろに入ってきて、寝ながらに日焼けしてしまう。構造に問題ありだな。年中「黒い」と言われるのはこのせいもあるだろう。



■2002年8月20日 (火):レンタルビデオ

二十日は毎月蔦谷のレンタルビデオがオール100円なので開店時間に借りに行く。新作や人気物はさすがにすぐになくなる。「冷静と情熱のあいだ」「A.I.」「ハムナプトラ2」を借りた。

麒麟一番搾り

 

バイトの帰りの一杯。夏はビールだなぁ。最近350ml缶ではなく、250mlを買っている。酒が弱い遺伝子を受け継ぐ者にとって、ほろ酔いの適量だ。発泡酒ではなくビールがやはり美味い!モルツも飲みやすくていいが、冷えた「麒麟一番搾り」の喉のキレがたまらん!



■2002年8月19日 (月):文庫本

結局鳴門工業は負けて、ベスト4の四国勢独占はなくなった。残念。お歳暮でもらった「そごうの商品券」で、今読んでいる続きの文庫本、山崎豊子の「沈まぬ太陽」3、4巻を買ってきた。航空業界の不正との闘い。


■2002年8月18日 (日):野球

高校生までは、毎年夏は甲子園の高校野球を観るのが楽しみであったが、自分の学年が追い越してしまうと段々興味が薄れてきた。今年の甲子園もあまり期待していなかったのだが、四国勢が強くて、今日も4校とも勝ってベスト8に四国4校が全部残った。春準優勝の鳴門工業は逆転勝ち。観てて面白い試合であった。夜は中日-巨人の3戦目。これも7回まで3点差でリードされていたので、期待せずに観ていたら、ブレットの2ラン、そして無死満塁から谷繁の狙い通りのグランドスラム、そしてタイムリーと続き一挙7点!1戦目に続き、爽快な試合を観る事ができた。これだからドラファンはやめれない。

タコと鯛

 

タコの鯛の刺身。もちろん半額。生協で買い物した時はいつも買っている気がする。



■2002年8月17日 (土):家庭教師

お盆中は休みにした家庭教師の振り替え日。高3なので夏休みといっても受験勉強中である。たいへんな年頃やな。最近かなり昔のように思えてきた。


■2002年8月16日 (金):お盆ヨット

ヨット部の練習日ではないのだが、練習をしたい部員が集まってヨットをするというので、行く。昨晩うちに泊まった兄貴とその友達もヨットに乗りたいというので、一緒に艇庫へ。午前中に微風の中二人をスナイプに乗せる。昼からはレスキュー上でッスピーカーからコーチング。メンバーは1年〜3年生で4年生はいない。レースメンバーは少ないので、ラウンディングしながら微風の中タックの反復。ベタベタでのロールタックは二度目のヒールをクルーがキープしてスキッパーが潰す事で艇速を回復するのだが風速が変化するので、常に加速につなげられるようになるのは練習量が必要だ。夕飯はタンタン麺。
帰宅後中日-巨人のナイター中継を観戦。好調中日は朝倉は9回を1失点で投げきり、最後は谷繁のサヨナラ3ランホームランで6連勝!えーもん観れた♪


■2002年8月15日 (木):阿波踊り最終日

浮世連

 

東京で働いている兄貴とその友達が阿波踊りにくる。今回の阿波踊り期間中、うちの来客者が多いな。阿波踊りの最終日のせいか、ものすごく人が多かった。



■2002年8月14日 (水):ヨット連

毎年参加していた「阿波踊りヨットレース」は夏バテのせいか気分が乗らなくて不参加。徳大ヨット部からは6人くらい参加したようだ。

ヨット連

 

その後にある「ヨット連」にはもちろん参加。阿波踊りは踊るのが楽しいのだ。踊りまくり飲みまくり。今年は両国橋の演舞場しか通ることはできなかったが、十分踊りを楽しめた。踊りの後は徳大校舎で暗闇の中で、夜中2時まで飲んでいた。



■2002年8月13日 (火):阿波踊り2

ヨット部の練習に参加。今年の夏合宿はよく風が吹くようで、今日も中風以上のいい風が吹いていた。午前はスナイプの28431で一年生と乗る。基本動作を教えるのはこれで何人目だろうか。教えるポイントはだいたいパターン化している。昼からはレスキューの運転。しかし、雷雲が接近中という気象台の予報だったので早めに着艇。夕飯はかえりに「かつや」でロースかつ定食(680円)を食った。帰宅後は阿波踊りを観にいった。


■2002年8月12日 (月):阿波踊り初日

今日から阿波踊りが始まった。ニュースステーションでも生中継していた。「徳島といえば阿波踊り」というくらい、県の代表的なものである。15日までの四日間、徳島市内の夜は踊りの舞台と化する。高校のラグビー部のときの友達が来た。彼は阿波踊りにくるのは3回目(やったかな)。その割には祭りの後うちに来る時道を間違とった。


■2002年8月11日 (日):満員

徳島に帰る。明日から阿波踊りが始まるせいか、お盆中の日曜のせいか三宮発徳島行きの高速バスは満員。三宮にはやく着いてバスチケットを早い時間に交換しようとしたけど満員でできなくて、2時間ほど本屋で立ち読みして時間を潰した。久し振りの徳島は風があって以外にもそこまで熱くなかった。


■2002年8月10日 (土):渋滞

京都への帰りは八千穂村からメルヘン街道を通って諏訪まで山を越える。途中 白駒池に立ち寄った。峠は麦草峠という名前で標高2120m。八ヶ岳の近くである。諏訪ICから高速に乗ったのだが、今日から帰省ラッシュと言う事で小牧JCTから大渋滞。日程ミスだった。栗東-大津の間も大渋滞で着いたのは夕方の5時。ちなみに朝出発した時間は8時。長野ってやはり遠いな。

白駒池の原生林

 

メルヘン街道沿いから白駒池までの間に通る原生林。火山の溶岩で覆われた後、数百年経った森の姿らしい。



■2002年8月9日 (金):菅平

今日はLogoで上田の方に行く。上田は真田幸村などの真田家が戦国時代に活躍した場所である。その真田町に真田家歴史館があってに菅平行く途中による。菅平は冬はスキー場、夏はラグビーの夏合宿が集まることで有名なところ。全国から高校・大学のラグビー部が高原で涼しい菅平に集って夏合宿を行い、練習や試合をおこなうのである。うちの高校のラグビー部も毎年ここで夏合宿を行うので、高校時代に3回行った懐かしい場所である。めちゃしんどかった記憶もあるが、芝で試合ができたりして楽しかったような気もする。4年も前のことなんやなぁと、菅平の高校生ラガーメンを見て思った。ラグビー以外にも駅伝、サッカー、テニスなども夏合宿をおこなっているようであった。街中がスポーツだらけという町もなかなかいいな。

ラガーメン

 

菅平の名物かどうかは知らないが「ラガーメン」(800円)。ラーメンにしては高いが、ちぢれ麺が美味かった。名前とラグビーボールの器が、さすが「ラグビーのまち」である。



■2002年8月8日 (木):

午前はおじさんと親父と中山家の墓参り。Logoに乗って八千穂村の馬超(うまごい)に行く。ここの中山家の墓がいっぱいある。帰りに親父の出身校である田口小中学校である龍岡城に行く。これは函館とここだけという五稜郭の城で、城跡に学校がある。昼からは浅間山の鬼押し園へ。別荘地が立ち並ぶ軽井沢を抜けて行く。浅間山は活動が活発な時期のようで、噴煙を上げていた。

鯉濃(こいこく)

 

佐久は鯉料理と味噌が有名でその味噌汁が「鯉濃(こいこく)」である。長野のばあちゃんのとこへ、行った時はいつも作ってくれる。親父の好物料理でもある。



■2002年8月7日 (水):長野へ

長野県のばあちゃんのとこへうちの車(Logo)を運転していく。ばあちゃんのとこは大学に入ってからは行っていないので、めちゃ久し振り。京都南ICから岡谷ICまで高速でぶっ飛ばしていき、そこまらはビーナスラインをとおって佐久へ。今まではJRでいつもきていたが、運転をしていても車できた方が楽やった。ばあちゃんも猫のミーシャも元気で安心した。

ミーシャ

 

ばあちゃんとこにいる猫のミーシャ。僕が小学校低学年のころからおり、人間の年にしたら100歳を越えているという小柄な老婆猫。しかし、見た目は全然そんな風には見えなかった。猫らしく自由気ままに生きているからだろうか。



■2002年8月6日 (火):回復

明日から車で長野県のばあちゃんのところへ行くので、今日は体力を回復するため実家でごろごろしていた。にしても、今年は暑いなぁ。


■2002年8月5日 (月):猫

三宮の映画館でジブリ作品の「猫の恩返し」を観た。なかなか笑える面白い映画であったけど、これまでの映画のような強烈な「メッセージ性」は少なかった。宮崎駿のかかわり度合いが小さいためだろうか。登場人物の女の子が「ハルとユキ」でヨット部の今度高知国体にSSで出場するペアーと同じ名前だって、なんか笑えた。偶然は恐るべし。


■2002年8月4日 (日):OB戦

9時にまこっちゃんのワゴンRに乗り艇庫へ。2時間しか寝れなかった。ヨットに乗って大丈夫だろうか?不安が頭痛の頭を回る。気分もすぐれない。今年のOB戦は参加人数がとても多かった。創部以来50年近くたっているから、様々な年齢層のOBがいる。今年で1年目のOBとしては、この中ではまだ現役の気分である。波が高かったので例年のレース方式をあらため、上下マークとスタートラインを形成しての通常のレースを行なわれた。はじめはハイクアウトするぐらいのいい風が吹いていたのだが、途中からベタりだす。バーベキューを鱈腹食った後、午後から田代さんと28431に乗った。ヨット部4年間で一番多い時間乗っていた艇である。ベタベタだったので、あまり走ってくれなかったが、久しぶりにするウイスカー返しは面白かった。懐かしい面々にも会えて、年に一度のOB会は楽しかった。今後もできるだけ参加しよう。Qちゃん(29809)の引退も見届けたい。10年後くらいかなぁ。


■2002年8月3日 (土):OB戦前夜際

午前中になんとか週レポを書き上げ印刷。そんで13時から発表。発表者の人数が少なくていつもより早く終わった。昼飯は「うどん工房」で、冷や冷やかけうどんと鱧(ハモ)の天婦羅。暑くても、冷えたうどんは食欲がでる。夕方、アクティー前に若手ヨット部OB(20代)の飲み会の集合。明日はOB戦なので、各地からOBの方々が徳島に戻ってきている。今回集まったのは僕が大学1年の時の、1年〜M2年までの学年(13人)。最近会っていない人ばかりで非常に懐かしかった。1次会は「弁慶本店」、2次会「忘れた(百友禅の上)」、三次会カラオケ、4次会「清水家」。結局家に帰ったのは明るくなった朝6時。徹夜で飲んだのは久しぶりだが、体調悪くなるのは必死だな。もう若くない・・。


■2002年8月2日 (金):要項

10月の学会の要綱を書いては助教授に訂正してもらう、 を繰り返していたら週レポが全然できなかった。明日の朝にやるとするか。危険な橋の第一歩。家庭教師の給料日の後は、夕飯を駅前の「福一」で徳島ラーメンを食べるのが習慣になってきたようだ。


■2002年8月1日 (木):飲み放題

家庭教師から研究室に帰ってくると、ヨット部の一年生から秋田町に飲みにいくから来ませんかと誘惑の電話がくる。一杯やりたかったので、誘いにのり秋田町へ。22〜24時がなんと「500円で飲み放題」という居酒屋で飲む。蔵本常三両方から飲みたい部員が集まった。10人くらいやったかな。ラストオーダーまで時間が少なかったので、ハイペースで飲みまくり。おかげで許容容量をうわまわりかけてしまった。なんとか醜態はさらしていないはずである。たぶん。二次会は岡さん家。前半は寝ていて記憶なし。受験生(院)のピコジョッチが一瞬顔を出して帰っていったようだ。


 [裏白南風]


 

 

[徒然書] total :
access
(today :yesterday