■■ 徒然書 ■■  2002年

  10月  
 

■2002年10月31日 (木):秋刀魚

秋の魚と言えば「秋刀魚」。鮭の次に好きなのがこの魚だ。脂が乗りまくった秋刀魚を食べたいのだが、開きの方が安いし、焼くだけなので今回は開き。100円くらいだった。

 

さんま



■2002年10月30日 (水):ハミルトニアン

4年生の輪講の勉強には院生が一人づつ付く、というのが去年からうちの研究室の慣習になっていて、その担当する4年生の出番が近づいてきたので一緒に勉強する。「ラマン散乱の量子力学的考察」というところで、摂動論を使うのでハミルトニアンとか波動関数とかがでてくる。量子力学とは哲学的な学問というが、よく考えられたもんだな。頭が痛くなってくる。
日本シリーズは巨人が4連勝であっけなく勝ってしまった。ここまで差がでるとは思わなかった。最近10年間でセリーグの8勝2敗。打撃よりかは投手力に差があるんではなかろうか。


■2002年10月29日 (火):休講

講義は輪講なので寝て昼から大学に行こうとしたら、学長選挙のため教授が出席できず輪講は休講らしい、というので結局大学には行かずじまい。気が付いたら全身筋肉痛がほとんど治っていた。鍋効果か?夜はHAPPYのバイトであるが、やたらと寒い。秋の気温ではないな。


■2002年10月28日 (月):M1鍋会

月曜日は朝一(8:40〜)講義があるのだが、あまりの眠たさで自主休講。うーむ、いかんなぁ。夜は同学年(M1)の実家で鍋会。「がんばり屋」で鍋材料の魚や肉を大量に買い込み、リカオーで酒とつまみを買う。鍋の後はそのまま泊まらせてもらい、翌日の朝も鍋を食って帰ってきた。


■2002年10月27日 (日):筋肉痛

恐ろしく全身筋肉痛。とくに足が重傷。生活に支障をきたすのは、かつてない事だ。階段を降りるのが一番辛い。体力は20前後がピークというから、峠は越えてしまったんだろう。後は急激に降るか、緩やかにくだるか。「運動の2日後に筋肉痛がくる」ってとこまではまだ行っていないようだ。
本屋でSPIの問題集を買う。就職試験で使う会社が多いらしい。そう言えば兄貴が持っていたような気がする。なんか赤本を買う大学受験生のようだ。理系なので専門の方の試験がきつそうだ。自分の専門分野は、しいていうなら「光物性」かな?量子力学をせないかんなぁ〜。


■2002年10月26日 (土):バレーボール

朝9時から青少年センターの体育館でバレーボール。後半はバスケットボールもした。どちらも数年ぶりの久々で、はじめは思いどうりに体が動かなかったが、だんだん勘が戻ってきた。やはり体育館競技は面白いなぁ。定期的にやりたい。体力は以外と残っていたが、足がもの凄く筋肉痛。昼からは週レポ。


■2002年10月25日 (金):エントリー

大学3年の時はすでに大学院進学一本に決めていた(ヨットと院試勉強に専念していた)ので、就職活動というものを今だにしたことがない。しいていうならバイト探しをしたくらい。そして、いよいよ就職活動をする時期がやってきた。最近の就職活動はインターネットを使うのは当たり前のようで、今日はある会社のエントリーシートというもをWEB上で書いて登録した。記念すべき第一号!


■2002年10月24日 (木):電気屋

沖ノ州に大型の電気量販店がオープンした。うちの研究室の人が徹夜でな並んでオープン記念の特価商品を手に入れていた。定価30万円くらいするノートパソコンを10万円ぐらいとか、そのたもろもろのOA製品。えーなー。パソコンは車ほどではないが、学生に取って高額な買い物なものなので、買い替えとなるとなかなか難しい。

こいつが今使っているノートパソコン。 シャープのMebius。2000年1月に買ったのでかれこれ3年目になる。買った当初は一般人がパソコンを持つのが当たり前になりだし、インターネットが爆発的に普及し始めた時だった。 購入価格は在庫処分で15万円ぐらいやったような。

 

Mebius

初めは本体と液晶画面の薄さに感動したけど、現在売りだされているPCと比べると「分厚いな〜」と一世代前のように見えてしまう。容量も4GBしかないし。今はノートPCなら通常30〜40GBのようだ。3年でこれだから、この調子でいったら10年後は今から想像もつかない形態のPCになっていそうだ。
夜に9時ぐらいから急遽M1の4人でボーリングに行ってきて、その後は四国大学近くの「東大」で徳島ラーメンを食ってきた。同じ「東大」でも秋田町の方にある店よりから、こってりながらもあっさり。特徴のあるラーメンだ。


■2002年10月23日 (水):

「光触媒」の本を読む。現在研究で用いているのがTiO2で、光触媒として注目を浴びているのもTiO2である。こいつの物性を知らないことには研究は進まない。

【あさり汁】
材料:あさり、えのき茸、ねぎ

今回はアサリの味噌汁。なめこ汁もそうだが、たまにムショウにあさりの汁が食べたくなる。あさり独特の味がでて、おすましでも美味しい。

 

アサリ汁



■2002年10月22日 (火):赤目

疲れるとすぐに充血してきて赤目になる。酒を飲んだ時もそうだが。目の医者によると、目の毛細血管が〜(忘れた)で目が充血しやすらしい。HAPPYのバイトでトレーニングジムの終了時間は11時10分なので、結構夜遅くまでいるわけだが、10時過ぎぐらいからよく言われる。早い時だと仕事に入った瞬間に言われる。よっぽど疲れているようにみえるようだ。そこまで疲れたり酔ったりしているわけではないんやけどなぁ。そういや兎は赤目っていうな。


■2002年10月21日 (月):予約

夕方に青少年センターへ、体育館利用を予約しに行く。日は今週末土曜日の9時から12時。平日の昼は講義があって集まらないし、夜は毎週予約がいっぱい。よって週レポ前のこの時間しかない。ちょうど半面空いていた。大学1回生の時に、体育館を借りてバレーボールを数回やっていた。サークルまで発展さす予定だったけど、あっけなく廃れた。やるとなったら人数はまあまあ集まるのだけど、場所を取ったりする世話人が増えなかった。


■2002年10月20日 (日):日曜のバイト

日曜にしてはめずらしい、HAPPYのバイト。「月に1回は入ってくれ」と言われて、泣く々する事に。朝8時半から出勤して、掃除やマシーンのセッティング。9時からお客さんが来始める。日曜日の朝から皆さん黙々と走って、筋トレをする。ほとんどがスポーツマンというわけではなく、一般人。現代人はパワーが有り余っているようだ。ディスクワークでは、精神的に疲れても体はなまるわな。ジムは6時半までやっているが、3時あがり。雨が降ったり止んだりの憂鬱な日曜日だった。


■2002年10月19日 (土):卓球

週レポが終わった後、うどん食いに行って、「プールにいかへんか?」と誘われてが、運動はしたかったが泳ぐ気分ではなかったので、同じ施設内にある卓球をしに行く。青少年センターではプールが250円で卓球は無料でできる。一時間ほどしたが、久し振りで面白かった。本家のテニス(卓球=table tennis、ping-pong)はたまにやっているので、なんとなく以前と違った卓球の考え方になりこの辺も面白い。卓球のこつとしては、台から少し離れてすると打ちやすかった。

【なめこ汁】
材料:なめこ、豆腐、ネギ、味噌

味噌汁の中でこいつがムショウに食べたくなる時がある。とろとろしたキノコの食感が良い。豆腐を入れてみたら、いい組み合わせだったようで美味かった。

 

なめこ汁



■2002年10月18日 (金):2層膜作製

実験で基板にSiO2とTiO2の2層膜を作製した。ゾルゲルはまだうちの研究室で使われだして日が浅い上に、化学的な手法だからわからない事だらけ。うちの研究室の専門はレーザでどちらかというと物理系である。最近、材料作製の研究が増え、化学的な手法が増えている。

【刺身盛り】
COOPの880円が半額になった刺身。住吉生協の刺身はネタ質がいいので、値引きされる夜8時ごろ買いに行くのが狙い目である。こいつぁー美味いぜ!

 

刺身



■2002年10月17日 (木):えのき

コーティングに使う予定のTiO2ゾルがゲル化が進んでゼリー状になっていた。コーティングには使えないので新しく作り変えた。

【えのきバター蒸し】
えのき茸一袋を、バターと一緒にアルミホイルで包み、オーブントーストで10分。醤油をたらして食べる。

大学近くの居酒屋のメニューであって、美味かったので作ってみる。安いし簡単だしなかなかいける味だ。

 

バター



■2002年10月16日 (水):コンニャク

【味噌コンニャク】

住吉生協で安く売っていた。120円くらいやったかな。茹でて味噌をかける。甘めの味噌は美味かった。コンニャクを食べると「食物繊維が多いのでお腹の掃除をしてくれる」らしい。刺身コンニャクも安くて美味いので好きだ。

 

味噌蒟蒻



■2002年10月15日 (火):10年後

午前に徳島へ帰る。あまり寝ていなかったので、阪急も高速バスも爆睡。電車でよう乗り越さなかったなぁと思う。夜はハッピーのトレーニングジムのバイト。担当した人がちょうど34歳と44歳やって、自分の10年後、20年後を想像してしまった。10年後はなんとなくでてきそうだったが、20年後はさっぱり。どうなっていることやら。 そう言えば今日は「北朝鮮に拉致被害者の一時帰国」という歴史的な日であった。24年前というから昭和53年。ちょうど生まれた年である。近未来の事や24年前の事を考えていたら、生まれた年の出来事や時代背景を知りたくなってきた。


■2002年10月14日 (月):祝日

夜、高校時代の友達とボーリングへ。スコア-はへぼへぼやった。その後は24時間レストランへ。先月あった同窓会でそれぞれどうなったかを話す。みんな様々な状況で、高校まではほとんど同じでもそこからは色々あるやなーと人生について考えさせられた。結局朝5時までいて、家に帰るころには明るくなり始めていた。


■2002年10月13日 (日):王子

六甲のフランス料理屋でランチ(1000円)を食べて、リッチな気分を堪能した後、パンダで有名な王子動物園へ。動物園に入るのは徳島動物園に行っていらいで、パンダを観るのは、はるか昔上野動物園でトントンを観ていらいだ(10年以上前?)。休日なので親子がたくさんいっぱいだった。パンダは大人気で人だかりが凄かった。レッサーパンダがかわいく、デジカメを忘れた事を後悔。動物園の隣の競技場でアメフトの試合がやっていて、観ようといたが「残り3秒の攻撃だー」とアナウンスの後すぐに終わってしまった。甲子園ボウルも観にいきたくなってきたなぁ。


■2002年10月12日 (土):京都

週レポの発表の後、いつもの「麺工房」でうどんを食い、高速バスで三宮へ。寄り道せずに阪急で京都の実家へ。家では恒例となった「パソコン教室」。パソコンが止まりやくすなったのが気にかかる。


■2002年10月11日 (金):田中さん

ノーベル賞を取った田中さんのニュースが面白い。43歳という若さもあるが、大学院には行っておらず、学士での受賞である。ノーベル賞といったら、どこどこの教授で、すでにその分野では有名な人が取るものだというイメージがある。この概念が打ち砕かれたという意味においても今回の受賞はインパクトがでかいな。小柴さんも凄いのにかすんでしまった。

[ 田中さんニュース ]


■2002年10月10日 (木):ノーベル賞2

またビックニュースが飛び込んできた。ノーベル化学賞を島津製作所の田中耕一さんが受賞した。今回は日本人同時受賞である上に、化学賞は三年連続。政府が「今後50年間で30人のノーベル受賞者を出す!」と宣言してから早くも3年で4人目である。今まで日本人が苦手だったアピールを積極的にしているという効果も現われているのだろう(しかし、業績は10年以上前のことだし、アピールも大切だが、根本的な基礎研究の費用も重要と思うけど、その辺に力は入れているのだろうか)。田中さん自身が「寝耳に水」というくらいだから、前ぶれもなかったイキナリの受賞はニュースとして面白い。43歳という若さである上に学会ではあまり有名ではないらしい。年功序列色が濃い今の日本ではありえない賞だな。さすがノーベル賞。民間研究所の人が受賞するのももちろん初めてらしいし、今後の研究者の刺激になったのは確実だ。田中さんの発明のきっかけもそうだが、大発見は、狙った結果を追い求める時に「ふとした間違い」から生まれるのが共通している。後は学生の時すごく成績が良いわけではなく、「変わり者」と見れていたり「変人」と言われていたという点もそうだろう。こういうところから「独創性」が生まれるようだ。常識にとらわれているうちはダメだな。今回のダブル受賞で、島津製作所と浜松フォトニクスの知名度や株価は大幅にあがっただろう。ここの就職人気もあがるのは必死。ちと残念・・。

最近の日本人ノーベル賞
名前
部門
 理由
2000
白川英樹
化学賞
 導電性ポリマー
2001
野依 良治
化学賞
 不斉水素化触媒の開発
2002
小柴昌俊
物理賞
 ニュートリノの観測
田中耕一
化学賞
 タンパク質の質量測定法


■2002年10月9日 (水):M1会

前回と場所は同じく大学近くの「暖屋」。料理もまぁまぁ美味いし値段も安い。そんなに飲んだわけではないけど、飲んだ後、頭がちょいガンガンきた。


■2002年10月8日 (火):ノーベル賞

講義で教授の話が、「ディスプレイ→ブラウンカン→浜松テレビ(現浜松フォトニクス)→カミオカンデ」で終わった。すると夕方、ノーベル物理学賞を小柴昌俊・東京大名誉教授が取ったというニュースが流れた。業績は「宇宙から飛んでくる素粒子ニュートリノをとらえ、ニュートリノ天文学という新しい学問分野を築いた」でこれには、「スーパーカイオカンデ」という1千個の高感度の光センサー(光電子増倍管)が使われた巨大な装置が使われている。ちょうど今日講義であった話やからこれも偶然か。毎年期待されている青色LEDの中村修二さんの受賞は今回もなかった。日本人の受賞は3年連続だが、受賞には周辺のアピールがかなり重要らしい。


■2002年10月7日 (月):完全移転

月曜日は朝一から講義。NMR(核磁気共鳴)について。夕方からはホームページの完全移転を行った。これまでファイル置いていたso-netが、容量を5MBから10MBに増やすという。これはいいのだが、これに伴いアドレスも変更になるという。すでにcoolってとこのスペースを持っていて表紙以外はだいたい移転していた。よって、この機会に完全移転しましょい、ってことでととりかかったが、いざやるとなるとファイル数が半端になく多く大変やった。とくに画像ファイルがやっかいだった。HPを作り出した頃は、階層を分けず、画像もすべて同じファイルに入れていたので、ファイル数が増えた今、階層を整理しながら移転した。これで次回のヨット部HPの移転作業は楽に行えるだろう。


■2002年10月6日 (日):大雨

ヨット部に行こうかと思ったが、朝起きれなかった。うーむ。昼から強風が吹きだし、夕方には大雨が降った。この季節は雨が降るたびに寒くなるらしい。半袖の季節は終わったな。秋の気配。


■2002年10月5日 (土):四国学会

場所は香川の詫間電波高専。車では高速を使っても2時間半ほどかかった。うちの研究室のそれぞれの発表は色々面白い事があったみたいだが、自分の発表はすんなり終わった。帰りにドクターの人の実家が香川でラーメン屋(ふくちゃんラ−メン)をしているのでそこに寄る。たらふく料理を食べさせてもらって満腹、満足。徳島に帰ったら、午前の部で発表して一足早く帰ったメンバーが居酒屋「串八」で打ち上げをしていた。お開きの直前に少しだけ参加。

これが、「ふくちゃんラーメン」。徳島ラーメンのこってりとは違い、あっさりした醤油味の中華ソバで美味かった。

 

ふくちゃんラーメン



■2002年10月4日 (金):おでん

生協で「おでんフェアー」をやっていたのでつられて具材を買っていたので、そいつを煮込んだ。おでんは時間がたつと味が染み込んで美味しくなる。作りたてだとやはり淡白な味だった。明日が楽しみだ。
学会前夜。研究室のあわただしさはいつものとおり。明日はいよいよデビューだ。

 

おでん



■2002年10月3日 (木):学会準備

土曜日に高松で四国学会があるので、その準備をする。発表内容は4年の時におこなった実験の内容だが、今回はパワーポイントが使えないようなので、OHP発表用に作り直す。OHPでは枚数をかなり減らさなくてはいけないので、どこの内容を削るかで一苦労。発表時間は卒研発表と同じで「発表7分+質疑応答3分」。さて初学会はどうなることやら。
福留がついに3安打を放って、打率で松井を抜いた。残り試合目が離せないな。


■2002年10月2日 (水):冬ノ陣

夕飯を食べた後、睡魔に負けて1時間ほど眠ったら、かなりの熟睡度。このおかげで夜は寝れなくなって朝近くまで本を読むはめに。大阪冬ノ陣が終わって、いよいよ豊臣家の最後が近づいてきた。真田幸村、後藤又兵衛、木村正成・・ええ部将がいたのになぁ。司馬遼太郎の「城塞」の上・中が終わった。残るは「大阪冬の陣」の下巻!


■2002年10月1日 (火):31

31がランチャー艇になったらしい。31は艇番28431で、たまに「レオン」って呼ばれていたスナイプである。スナイプ級ではフリーでウイスカー(猫の髭)という棒が使われていたが、最近は新しいシステムとしてランチャーというものになっている。1年のころは四国でこの割合は半々であったが、今ではレース艇でウイスカーを使っているのはついに徳大だけになってしまった。そして、昨年Q(29809)の新艇スナイプがきた。もちろんランチャー艇である。そして、31もついにランチャー仕様に改造したというわけだ。31は入部した時から3年の終わりまで、ずーと乗っていたので、一番愛着のある艇だ。コックピットが他のスナイプより広くて乗り心地が良かった。同じヨットでも、人によって思い入れや物語がある。スナイプに乗りてー。


 [裏白南風]


 

 

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