■■ 徒然書 ■■ 2003年
3月 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
■2003年3月31日 (月):グァバ茶
■2003年3月30日 (日):御手洗さん 朝日新聞の土曜日朝刊についている「be」が面白い。今週のトップはキヤノンの御手洗社長。「選択と集中」でキヤノンを建て直し、今やソニーを抜いて電子業界の首位である。日産のカルロス・ゴーン社長とともにすご腕だ。この2人のインタビュー記事を読むのが好きだ。御手洗社長は社長就任以前は23年間米国支社にいたというように、2人には「しがらみがない」というのが建て直しに成功した要因ではないだろうか。不景気の中、立ち直った勝ち組か不振のままあえいでいるかはこの「しがらみ」を太断ち切れているかどうかだろう。「製造業は品質とコストがすべて」「変化は進歩」「仕事は手段であって目的ではない。手段は臨機応変に変えるべきだ」「合理主義」「セル方式」「付加価値の高い産業へ」「衰退期の予兆を感じる」「精神風土、文化、社員達の使命感、倫理観がすべて」「大衆主導」。御手洗さん、えーこと言うなぁ。 ■2003年3月29日 (土):GO 「GO」(金城一紀)が面白かった。これまでに読んだ文庫本のベスト3に入りそう。残り2つは「青が散る」(宮本輝)「燃えよ剣」(司馬遼太郎)。こういう本を読んでいる時は面白い映画を見ている時以上にストーリーの世界に入っている気がする。GOは映画にもなっているらしいが、観ないでおこう。「不夜城」(馳星周)がそうであったように原作より面白いという事はまずないであろう。GOの話で出てきたニーチェの言葉、 ■2003年3月28日 (金):開幕 昼前に実家を出て徳島へ帰る。D社の3次選考結果が大学メールに届くので、大学に行ってメールを開くまではドキドキだった。この気分は一昨年の院試や大学入試試験、四級船舶免許などの結果を待つ心境に似ている。インカレのレースで海に出る(出艇)までの心境にも似ている。これが続けば胃潰瘍になるぜ。結果は4次選考へ進めるという内容。これで山を乗り切ったハズ!4次(最終)選考は教授推薦持参で役員面接との事。「意思確認」だけとは思うが・・。もう一ふんばりだ。春は近い。
パリーグは猛打近鉄が制して、【中日-近鉄】の日本シリーズは5-3で中日が日本一!やったぜ、という感じ。今年こそ頼むぞドラゴンズ! ■2003年3月27日 (木):天理 奈良天理でSH社の見学会。京都駅から近鉄急行で1時間ほど。奈良は近そうで以外と遠い。天理駅からSH社に行く途中バスに乗ったのだが、そこから見える天理の町並みに驚いた。すげー。「千と千尋の神隠し」に出てきそうな建物がたくさんある。それを観るだけで天理の街が放つ宗教パワーを感じた。SH社開発センターの大きさにも驚いたが・・。まるで「SHタウンやん」。SHの「歴史ホール」「技術ホール」の見学が1時間あって、とても面白く来た甲斐があった。見学の後にあった技術の人の講演会がためになる話で面白かった。なかでも「技術者の頭の中にはサイエンスモデルがある」という話がなるほどと思った。サイエンスモデルというのはその人が失敗から学ぶなど過去の経験から形成されるものらしい。SH社が求める人物像は一言で言うと「創造性の高い人」だそうだ。 ■2003年3月26日 (水):3次選考 前と同じく朝7時半徳島駅発の高速バスに乗る。2時からD社の3次選考。場所は京都駅と西大路駅の中間で、どちらの駅からも徒歩で15分ほどにある研究所。始めに人事部長面接(1:1)があり、次に技術面接(人事1技術3:1)。時間は各30分。やるだけの事はやった。帰りに京都駅まで歩き、息抜きにアバンティーの本屋に寄る。文庫本(黄泉がえり:梶尾真治)とナノテクの本(ナノテクノロジーを追う:辻野貴志)を買った。 ■2003年3月25日 (火):卒業式 午前はアスティー徳島で卒業式。ヨット部の恒例行事でもある。卒業生がでてくるのを待って、胴上げやエール。昨年は自分の卒業式だったが、あれからもう一年か〜。就職活動をしているこの時期は、やたらと時間がたつのがとくに早い気がする。一っこ下の学年は入部した時なんと12人!2〜4年が合計9人やったから、現役部員より多い新入生が入ってきたのである。あー懐かしい!
学科の謝恩会に出席するのは卒業生だけで、2次会から参加した。9時から秋田町の居酒屋「柚子」。なかなかきれいで雰囲気が良い店だ。明日がD社の3次選考という事もあり、すごく酒が飲みたい気分だが、控えなければならない状況だった。だからいつもよりややハイテンション。この後、ヨット部の3、4年が近くの店で飲んでいたのでちょいと顔を出す。「俺がハリーポッターだ」「俺の魔法にかかったな」。明日は6時起きなので、長いはできなかった。残念。 75回アカデミー賞は、ロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」が、監督賞、主演男優賞、脚色賞を受賞したようだ。これはイラク戦争に影響を与えるだろう。 長編アニメ賞は宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」! 関係者の間では作品賞を獲ってもおかしくないという評判やったらしい。アメリカアニメとはレベルの差があり過ぎる気がするが・・。これで、過去のジブリ作品がアメリカでブームになるのではなかろうか。米国は戦争中の今「ナウシカ」を観るべきだ。 ■2003年3月24日 (月):オープン戦優勝 打線好調の中日ドラゴンズが13勝5敗(勝率.772)でオープン戦首位を決めた。14年ぶりらしい。打線の調子がいいとは聞いていたがここまでとは・・。いつもより高まる期待。今年こそは、ナゴヤドームや甲子園へ観戦gooooo!のはず。
■2003年3月23日 (日):ポチ 国連が機能しなかったと言うが、今回がこれまでになく機能している。国連の目的は「国際紛争を武力ではなく話し合いで解決する」のが目的なはずだ。日本憲法前文の理念に近い。反対に、日本外交こそ機能停止状態である。首相にしかり、外相しかり。米国の「偽善」に追随するポチ外交。たまにはまともな事をしやがれ! ■2003年3月22日 (土):爆撃と反戦運動 朝から雨。起きたら10時を過ぎていた。昨日夕飯で麦酒を飲んだせいだろうか。最近は早起きが続いたせいで、いつも7時ぐらいに一度目が覚めていたんだけどなぁ。相変わらずニュースは米英軍のイラク爆撃の報道を続けている。それとともに、世界各地の反戦運動が激しさを増しているのも同時に伝えている。宗教戦争にならなければ良いが。現在「反戦の意思を表明したいが何もしていないなぁ」と歯痒く思っている日本人は多いだろう。
■2003年3月21日 (金):黄泉えり 映画館で「黄泉えり」(学生1500円)を観てくる。以外なストーリーで面白かったが、もっと感動的な話にできるのになぁと残念だった。俺にメガホンをトラセロ。
■2003年3月20日 (木):開戦 週末を挟んで6日間の就職活動が終わって一段落。今後の予定は選考結果が来てから。ひとまず徳島へ帰る。明日から3連休ということもあってか、三ノ宮は人がいつもより多かった。正午ぐらいに米国がイラクへの攻撃を開始した。世界の反戦の世論に米英が耐えられなくなって、早く停戦になる事を強く望む。
■2003年3月19日 (水):工場見学 横浜のA社(京浜工場)の工場見学。工場のラインを見せてもらい、その後そこの開発チームの人達の話を聞く事ができた。液晶の硝子基板でコーニング社(韓国)とシェア争いをしており、今年中に抜くつもりだと言っていた。新横浜でしゅうまいを買って帰る。新幹線は「のぞみ」に初めて乗った。始発ではない新横浜から混んでいる夕方乗ろうとしたら、まず自由席では座れない。「ひかり」もすでに満席だった。
■2003年3月18日 (火):F社一次選考 「ダウンシフティング」という言葉がある。自発的に仕事量を減らし、自由な時間を増やす。4日ほど働き、3日は違う事をする。当然収入は減るが生活の充実度が高い。まだ就職をする前だが、将来はこういう生活スタイルになりたい。今日は昼から東京のF社で一次選考。時間が13:30〜18:30(5時間)というからめちゃ長!京都から新幹線ヒカリで東京に向かうが、今回もケチって自由席にしたら、名古屋までの45分間は立ちぱなしになってしもた。一次選考はSPI、性格適性テスト(SKK)、選択問題(専門16問中3問選ぶ)という筆記テストの連続で面接は無し。さすがにこりゃ疲れた。マークシートが多かったので大学受験の頃を思い出した。夕飯は兄貴とお好み焼き屋で「もんじゃ焼き」を食べる。もちろん食べるのは生まれて初めて。焼き方も教えてもらった。まあまあ美味しかったが、関西でもんじゃがはやる事はないだろうと思った。 ■2003年3月17日 (月):D社2次選考 京都のD社で2次選考。朝7時半のバスで徳島を出発。いったん実家に寄ってから時間に合わせて烏丸御池の本社へ。呼ばれていたのは4人で、面接かと思いきや、適性と英語のテストやった。2時間ほど。3次選考は来週に研究所で部長&技術面接らしい。大西洋のアゾレス諸島(ポルトガル領)の米英スペイン首脳会談で外交努力打ち切りを決定。武力で中東に民主主義国家を造ると言うが、「話し合いによる解決」が民主主義の基本ではないのかい? ■2003年3月16日 (日):六右衛門 朝はイラク問題とかのテレビ番組を観たがあまり面白くはなかった。首相の不支持率が支持率をやっと上回った。「世論が間違う」とか「雰囲気で決める」とか言うてたら当然だろう。これまで必要以上に人気を煽っていたマスコミにも責任はあるな。昼から研究室へ。次週の就職活動の予定を組んだ後、面接で使う履歴書と研究概要を作成する。SA社のWEB試験(適性テスト+小論1200字)の合格結果がメールできた。2次選考はもうちょい先らしい。夜はハッピーの仕事仲間9人と秋田町の居酒屋「六右衛門」で飲む。飲み放題で3500円ナリ。 ■2003年3月15日 (土):徳島へ 今週は説明会1社、面接が2社あった。来週の始めに選考が2社決まっているが、書類を作りなあかんので一度徳島に帰る。小雨が振り続く土曜日。ヨット部はすでに岡山へ行って牛窓ヨットハーバーで恒例となった合同春合宿を行なっているようだ。今年は就職が決まるまでは顔がだせないなぁ。スナイプの個人・団体2連覇がかかっている新人戦くらいは観にいきたいが。このレースは合同春合宿の最後に行なわれるもので、今年は3日間でやるらしい。 ■2003年3月14日 (金):M社面接(筑波) 早稲田駅―【地下鉄】―高田馬場駅―【JR環状線】―日暮里駅―【JR常磐線】―取手駅―【関東鉄道常磐線】―子絹駅 という複雑な経路。M社の一次面接。かなり余裕を持って東京をでたら、2時間も前に着いてしまった。近くのイタメシ屋でパスタを食べる。面接に呼ばれていたのは3人。待ち時間に話をすると、研究は皆んな光関連であった。来社した順番で個人面接だったので、3番目だった。形式は、別室で「人事+技術」の2:1で事実上の技術面接だった。話の内容は会社に入ってやりたい事(志望動機)と現在やっている研究内容についてがほとんど。学生生活の話はほとんどなかった。時間は40分ほど。面接後、学部でここに入社した同じ学科の同級生に会って少し話をする。上野まではバスがいいという事でバスに乗る。M社から上野までは約2時間。そこからJRで京都へ。上野駅で新幹線と乗車券の切符を買ったら財布の中は僅か千円とちょっとになってしまった。ギリギリだ。新幹線の中で食べる弁当を買ったらほとんどなくなった。 ■2003年3月13日 (木):ST社説明会(梅田) 午前は大阪梅田でST社の説明会。実家を出る時間が遅くて、ぎりぎり1分前会場に到着。今日は会社説明だけ選考は無し。光の専門メーカーだけあって同じ研究室の同級生に会った。説明会終了後、そのままJRで東京に向かう。兄貴に京都駅内で買物を頼まれていたので、新幹線に乗ったのは京都から。毎度のことながらヒカリ自由席なので30分くらいホームで待つ事に。東京では高校時代の友達に案内してもらい、東大と国会議事堂を観にいく。デジカメを忘れたのが痛かった。 ■2003年3月12日 (水):初面接 昼から京都烏丸御池のD社で会社説明会。ネットで場所を調べたらある意味母校である河合塾京都校のすぐ近くやった。会社に行く途中久しぶりに立ち寄ってみた。うーん、懐かしい。近くの堀江ビルに自習室があったのだが、他の会社が入っていた。これも小子化の影響か?説明会は出席社は7人。これまでで一番少ない説明会だった。ここは昨年まで毎年10人ほどしか採用していなかったが、今年は40人も採るらしい。団塊の世代がこれから毎年40〜50人ほど退職していくのが理由らしい。なるほど。就職難(氷河期)の時代と言われているが、これならばだんだん温暖化に向かうんではないだろうか。小子化という事もあるし。まあ、採用人数が増えるのはチャンスが広がるからいいことだ。会社説明の後、一次選考とは聞いていたがいきなり個人面接だった。いよいよきた、初面接!面接は一対一で一人づつ別室に呼び出されるのだが、待時間は「研究者に求められる資質は。またその中であなたが持ち合わせているものは」というタイトルの小論(A4・1枚)を書かされた。面接は、時間が15分と短い上に技術面接ではなかったから、ヨット部の話が中心。あっという間に終わったという感じだった。最後に、部屋に入る前ノックをしていなかったのを指摘された。技術系だからそこまでマナーで落とされる事はないと思うが、いい勉強になった初面接だった。
■2003年3月11日 (火):ブルー・スリー 中日ドラゴンズの1〜3番(井端、荒木、福留)の打線につけるネーミングが「ブルー・スリー」に決まった。こいつはなかなかセンスのあるネーミングだ。ドラゴンズにはすでに「燃えよドラゴンズ!」という応援歌もあるし。ネーミングといえば、阪神の「F1セブン」とかいうのもあった。この「ブルー3」で2番の荒木がオープン戦で不調らしい。福留-井端-立浪という打線も面白いと思う。投手力は球界No.1と言われる中日だが、「大砲不在」が弱点だ。4番候補として期待したミラーがゴタゴタで結局来日しなくなった。しかし、代わりに獲得したアレックス・オチョアがオープン戦がかなりいい活躍をしている。昨年阪神にいたクルーズも打ちそうだ。今シーズンも期待していいのかな?いいんです! ■2003年3月10日 (月):利害論 イラク問題で戦争に突入するか阻止かで、瀬戸際の攻防が続いている。「戦場ピアニスト」を観てから、フランスとドイツがこれまでにない態度で戦争に反対しているのがわかる気がした。戦後ヨーロッパの経済が停滞したのは、明らかに国土が戦場になっていたからである。戦争では人的被害も大きいが、それだけではなくインフラが徹底的に破壊される。映画でポーランドの街が瓦礫の山になって主人公が一人たたずむというシーンは印象に残った。合成と思うがすごくリアルだった。これまでこつこつと創られてきた街がいとも簡単に瓦礫の山と化す。それが戦争だ。イラクでアメリカの攻撃によって当然同様の事が起こるのは確実だ。米英v.s仏独露の「正論が通るか、武力が勝つか」の対決。今後の国際状況を決めかねない事態なのに日本は相変わらずだ。しかし、日本政府の本当の姿が今回の事でどんどんはっきりしてきており、今後の日本のためには良かったという意見もある。イラク問題も政治汚職も「利害論」に当てはめれば、大体は説明がつくなあふと思った。「誰が利して誰が害するか」で説明するのが「利害論」である。
■2003年3月9日 (日):炒飯 炒飯は色々な種類があって奥が深い。使う御飯にしても、「冷飯」「炊きたて」「米から」という3種類ある。いつもは冷飯を使うが、今回は炊きたて。どうやら炊きたての方が調理しやすいし、美味かった。次に具材、調味料(味付け)。
■2003年3月8日 (土):失敗学 「失敗学」(畑村洋太郎/講談社)という本を読んだ。日本は失敗を忌み嫌う風潮があるが、小さな失敗から学んで、取り返しがつかない大きな失敗を防ごうという話。日本の教育がそもそも失敗をしない方法ばかりを教え、失敗から学ぶと言う事をしない。だから、マニュアル通りに動くのは得意だが、予想外の事が起こると対処する能力が極端に低いという人間が多いらいし。なるほどと思うとこが多かった。
■2003年3月7日 (金):サイン 映画「サイン」をビデオで観た。全然面白くなかった。こいつは駄作ではないのか? なんだあの緑の化け物は!「ミステリーサークルの謎」はほとんどストーリーと関係ないやんか!映画を観た人は「ホラー映画じゃなく結構感動した」と言っていたのだが・・。 ■2003年3月6日 (木):タタキ 住吉生協で半額(300円)になった「鰹のタタキ」を買ってくる。高知産と宮崎産のがあってどちらも半額にはなっていたが、元の値段が100円ほど違う。この差は解凍品か生の違いのようだ。宮崎産の生を選ぶ。肉厚があって美味かった。
■2003年3月5日 (水):喜多方ラーメン
■2003年3月4日 (火):ポモドーロ 今日はハッピーのバイトで三好町へ。徳島市から西へ高速を使い1時間半ほど。ここの人達の体力測定と、その後ストレッチ系の3種のレッスンという内容。生き返りのマイクロバスの中やレッスン中は仕事がないので本を読む。「光触媒が日本を救う日」(岸宣仁/プレジデント社 )を読んだ。2003年に出たばかりの本で、TOTOの光触媒の特許戦略や、中国企業の躍進、産学共同について最新の話が続く。これからの日本の産業界に重要なのは「産学連帯」。 そして日本は「独創技術」を磨き、「技術革新(イノベーション)」を武器にするしかない。経済ジャーナリストが書いた本だけあってわかりやすい文章で面白かった。
■2003年3月3日 (月):ひなまつり 今日はひなまつり。ニュージーランド(NZ)では、ヨットのアメリカスカップ2003が終わった。決勝の結果は、5-0。前回の勝者チームNZのスキッパー(ラッセル・クーツ)及びスタッフを引き抜いたアリンギ(スイス) の圧倒的な勝利で終わってしまった。結局、ア杯の決勝は事実上「新旧NZ対決」 であり、NZのレベルの高さを証明した。カップ奪回に燃えるアメリカは4チーム も送り込んだが、前回に続き挑戦者にさえなれなかった。 次回のア杯はヨーロッパで行われるが、どこの海でやるんだろうか。地中海?アリンギのラッセル・クーツが再び移籍する可能性もあり、今後の展開に目が離せない。そろそろ日本が不況から抜け出し、 「ニッポンチャレンジ」が復活する事を期待している。トヨタとソニーが金を 出し合って、クーツを引き抜き、日本にカップを持ってきてほしい。 ■2003年3月2日 (日):快晴 昨日とうって変わって今日は快晴。洗濯をし、布団も干した。昼から大学の図書館へ行き、そのまま研究室へ。就職活動のメールやらHPを見た後、白南風および裏白南風の更新をする。ヨット部もオフが明け、春合宿を行っているようだ。
■2003年3月1日 (土):ゼロックススーパー杯 一日中雨。憂鬱な天気の一日だ。国立球技場での京都パープルサンガ対ジュビロ磐田の試合をテレビ観戦。天皇杯とリーグのチャンピオン対決で最強クラブ決定戦。京都はこれまで磐田に勝った事がないらしい。雨の中の試合で気温は3℃。あまり動かないキーパーはめちゃ寒いな。結果は3‐0で磐田の勝利。中山の爆発は見られなかったが、藤田がさすが10番!という活躍を見せた。ベテランではあるが、ヨーロッパに行く話もあるらしい。
彼はもうこの世にはいない。21世紀になり、ITやバイオ、環境エネルギーで「ナノテク」が全盛期となろうとしている現在をどう思うだろうか。未来を予言する話を読みながら思った。
[裏白南風] |
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