■■ 徒然書 ■■  2004年

  3月  
 

■2004年03月31日(水):健康診断

昼1時から健康診断。X線やら採血があった。今日はこれだけ。明日から研修のスケジュールがぎっしりだ。昼飯を一緒に食べた4人で二条城へ。中に入ったのは今回が初めて(600円)。明日はいよいよ内定式。社会人スタートだ!第一章は「誕生〜高校、予備校」。第二章は「大学生活六年間」。これからが第三章で」ある。起承転結でいうたら、こらまで「起」で、明日からが「承」だ。ちなみに明日は8時本社出社だから、6時起きだ。初日だから、絶対に遅刻できんな。


■2004年03月30日(火):長野旅行

3朝から温泉に入りにいく。「十郎の湯」ってとこ。他に客がいなくて貸し切り状態だった。長野市の善光寺にいく。有名な大きな門が「平成の大改修」とかで工事中だった。平成19年に完成するらしい。まだまだ先だな。長野ICから高速にのり京都へ。途中で土砂降りの雨。6時間ほどで大山崎JCについた。


■2004年03月29日(月):長野旅行2

佐久から白馬へ。途中、「安曇野ちひろ美術館」によった。絵本作家岩崎ちひろの作品が数多く展示されていた。「はじめの一歩」という宿に泊まる。スキー場のリフト乗り場のすぐ近くだった。車で近くの温泉2ヶ所にいった。


■2004年03月28日(日):長野旅行1

家族で田舎の長野県へ。大山崎JCから名神高速道路にのる。中央高速の岡谷で降りる。後は下道で佐久へ。ばあちゃんの家に泊まる。いったのは2年ぶり。すぐ近くのホテル「一万里」の温泉に入りにいった。温泉三昧のはじまり。


■2004年03月27日(土):関西支部

朝の連ドラ「てるてる家族」が最終回。ほんわかして、いい終わり方だった。昼間は引越しで実家に運び入れた荷物の整理。これがまたたくさんあって大変だこりゃ。親父と兄貴を11時と13時に車で向日町駅に送っていく。このあたりもやはり道が狭い。徳島では考えられない太さの道が主要道路なのである。夜は四条河原町の「座座」という店で飲む。集ったのは、ピコジョッチ、ハル、タケシ、ゆかぽんの5人。ヨット部OBの関西支部といったとこか。徳島以外の場所で。ヨット部OBで集って飲むのはいいものだ。今後もちょくちょくやりたい。それにしても、あの時(ヨット部現役時代)は熱かったなぁ。そんなときがまたやってくるのだろうか。それとも、あれが最後なのだろうか。そーか、あれが「青春」ていうやつなのか。


■2004年03月26日(金):撤退

徳島から京都に引き上げ。徳島に別れをつげてきた。いつもは、徳島駅前から三ノ宮へ高速バスに乗っているが、今回が手荷物が多かったので大阪行きのバスに乗った。しかし、これが裏目にでる。阪神高速道路で自己があったらしく、大渋滞。下道におりても渋滞。結局、1時間以上のおくれだった。8時ごろ実家に到着。今夜でニュースステーションが終りだった。久米さん、18年間お疲れさま。面白い番組がなくなって残念だ。


■2004年03月25日(木):謝恩会

昼間は卒業式がおこなれるアスティー徳島へ。10時半頃いったが、すでにヨット部の黄色い集団が集まっていた。でてきたヨット部の卒業生を胴上げ&エール。その後は部屋の掃除。夜は6時からグランドパレス徳島で謝恩会。2次会は、阿波観光ホテルの裏にあある「阿波美人」。夜は再び友人の家に泊めてもらった。


■2004年03月24日(水):修了式

六丈のゴミ処分場に机などの大型ゴミを捨てに行く。朝なので、55号線は通勤ラッシュで渋滞していた。やっぱ徳島は車社会だな。10時から蔵本キャンパスで修了式。あっさりしたものですぐに終わった。校歌斉唱なんてのもなかったし。でたとこで、ヨット部に花束と色紙をもらう。その後、エールを聞いた時に修了式の実感が湧いてきた。夜は「日本一」でM2の飲み会。25人くらいきたんちゃうかな。2次会は「禅屋」やったような・・。その後、友達の家に泊めてもらった。


■2004年03月23日(火):引越し(徳島−京都−徳島)

タケシと合同で引越し。朝9時半に家をでてニッポンレンターカーで、幌付の2tトラックをかりる。まず、うちの家の荷物を積み込み。1時間半ほど。次にタケシ家の積み込み。1時半ごろ徳島を出発。京都へ。鳴門から高速に乗る。淡路島のパーキングで昼飯。名神の京都南ICで降りて、1号線に入る。京都の道は狭い。ちょい迷って、タケシの新居へ。助っ人のスーミンもちょうどいいタイミングで到着。エレベーターのない4階なので、持ってあがるのは大変だったが、3人なので積み込みの時よりかは早く終わった。171号線を走り、うちの実家へ。こりらも路地の道が狭い。家の前にトラックを止めると、車がくるたびにやっかいだった。積み下ろしが終わり、お茶や菓子、キーウィワイン、チーズ、マヌカハニーなどを食べてちょい休憩した後、徳島へ。7時半ごろ出発。予定通りだ。今日中に帰れそう。大山崎JCで名神高速道路に乗る。茨城サービスエリアで夕飯。カツカレーを食べた。日本に帰ってから食べたかったメニューは、うどん、寿司、ラーメン、カレーだって、これですべて要求を満たした。艇庫のちょい寄って寝袋を借りる。新しいレスキュー艇を初めてみた。うーむ、やはり新艇はいいな。こいつを使える現役がうらやましい。11時頃徳島に着く。明日、中間処理場に捨てる大型ごみをトラックに詰め込んで今日の仕事は終了。あー疲れた。ガランとした部屋で、寝袋で寝る。6年前、初めてこの部屋に来た時のことを思い出した。
交通費は往復2万円ほど。トラックは24時間レンタルで16000円やったかな?2人で引越ししたから、だいたい一人2万円程度。業者に頼んだら、京都までは4万円ほどかかるらしい(スーミン談)。だいたい半額だな。徳島−京都間は食事の時間を入れてちょうど3時間だった。


■2004年03月22日(月):引越し準備

いらんもんはどんどん捨てて、引越し準備。6年間住んだ部屋だけあって、荷物が多い。


■2004年03月21日(日):徳島へ

京都−徳島へ。三ノ宮で高速バスのチケットを買おうとしたら「本日満席」と言われる。日本に帰ってきたのに、ここでトラブルか?やべーと、思ったが、JRバスの方がまだ席が空いていて、難無きを得た。


■2004年03月20日(土):帰国

オークランド−香港−関西空港で帰国。


■2004年03月19日(金):オークランド

3朝は8時15分に起床。めずらしくシャワーは満室で、空くまでしばらく待った。朝飯は抜きでオークランド博物館へ歩いて行く。オークランド大学、ドメインの緑地を抜けて、博物館についた。ガイドブックには45分ほどと書いてあるが、30分ほどでついた。マオリショーを見る。凄い迫力だ。歌が耳に残る。念願の「ハカ」も見ることができた。昼飯はオークランド大学の学食で食べる。学生の数がやたらと多いし、国際色豊かだ。お土産を買ってきて、今日の夕飯も食天通で食べる。韓国料理の店のビビンバ($8)。明日はいよいよ帰国。日本はすでに桜がさいているらしい。オークランドにだいぶ親しみがわいてきた。なんだか帰国するのが寂しいなぁ、ってなかんじじゃが。


■2004年03月18日(木):オークランド2

朝食はケバブを食った。場所は宿のすぐ近くのクバブの店。ラムケバブのミニを頼む。$5.5。ソースは11種類の中から選べ、反射的に目に入ったBBQソースを選んだ。ケバブを食べるのははじめて。なかなか美味く、ラム肉もあっさりしていた。ミニサイズでも結構でかく、ソースもしたたりジーンズを汚し、食べるのに必死だった。ところで、ケバブってトルコ料理?
昼は、オークランドのメインデッシュである「アメリカンズカプのヨットで2時間のセーリング」。昨日の小雨の天気と違って、今日は天気も良く、風がええかんじで気もち良かった。通常$125やけど、セントラル・バックパッカーズの「travel centre」で申し込んだら$99になった。あのアメリカスカップの「Team NZ」のヨットに乗れて大満足。


■2004年03月17日(水):オークランド1

朝、セントラル・バックパッカーズからクイーンストリート・バックパッカーズに移動。雨がぱらついていたのでオークランド博物館に行く予定を変更して、国立海洋博物館へ。となりにはNZL41とNZL40(元ニッポンチャレンジ)が浮いている。明日乗る予定。プライド・オブ・オークランドにある「ライン7」で買い物。アメリカスカップ2003関連の品物が割引で売っている。えーこっちゃ。夕飯は昨晩、昼飯と同じ食通天(Foodcourt)で「sushibox」を食べた。


■2004年03月16日(火):クイーンズタウン−オークランド

クイーンズタウンからオークランドへ飛行機で移動。さらば南島!オークランドは久々の都会なので、やや緊張ぎみ。


■2004年03月15日(月):クイーンズタウン

クイーンズタウンで丸一日いる。生kiwiを見る。餌を食べに頭を地面に突っ込んでいる姿はキウィフルーツそっくりだった。リージュを三回した。かなり面白い。


■2004年03月14日(日):7日目(ミルホード・サウンド)

オーバーナイトクルージング【後半】


■2004年03月13日(土):6日目(ミルホード・サウンド)

オーバーナイトクルージング【前半】


■2004年03月12日(金):5日目(Mt.COOK−クイーンズタウン)

午前はマウント・クックのトレッキング。「Kea Point Walk」を歩く。めちゃ快晴でマウント・クックの景色はすばらしかった。午後のバスでマウントクック−クイーンズタウンへ($45=3600円)。「Real Journy」で明日の ミルフォード・サウンドのオーバーナイト・クルージングの予約をする。


■2004年03月11日(木):4日目(マウントクック)

6時半に起床。YHA近くの韓国人の店でミネラルウォーターとサンドウイッチ($4.60)を買う。7:50にYHAをチェックアウトして、同部屋だったドイツ人のリネーとバス乗り場へ。8:20発の居interCity系列のバスでマウント・クックへ($63=5040円)。


■2004年03月10日(水):3日目(クライストチャーチ2)

8時に起床。岩井は日本へ旅だった。午前はエイボン川沿いに歩いてカンタベリー博物館へ。


■2004年03月09日(火):2日目(オークランド−クライストチャーチ)

NZについて、入国手続きなど初めて自分ですることばかり。入国審査の待ち時間に麻薬犬に匂われた(後で聞いた話では麻薬犬ではないらしい)。審査は何も聞かれずすぐ終わり、荷物がでてくるのを待ったがなかなかでてこない。30分くらいして、「やばい、乗り継ぎの時間に遅れる!」とあせたら、荷物のでてくる場所を間違えていた。NZ航空の荷物がでてくるとこでずーと待っていて、キャセは隣だった。TRANSFER(乗り継ぎ)の手続きをして、国内線乗り場まで走って行く。今まで冬服だったので、オークランドでは暑すぎ。周りはだいたい夏服だ。国際線に比べて、国内線は非常にシンプルで小さなつくりで驚いた。カンタス航空(オーストラリアの会社)でクライストチャーチへ。飛行機からは、広大な農園の景色が見える。でかい。さすが「ファーム王国」だけある。クライストチャーチ上空でやや旋回して、着陸。午前11時につく。
<クライストチャーチ>
空港ではまず換金した。しかし、FEEを6.31も取られし、レートも79.26とやや高め。次にいく国際南極センターで換金した方がレート76だったの良かった。街中ではFEEはこんなに取られないらしい。こういう情報も「地球の歩き方」に書いておいてくれよな。
まずは空港近くの「国際南極センター」へ。歩いて10分ほどですぐについた。学生とYHA会員であることを言うたら、どちらのせいかわからないが$20が$18(1440円)になった。クライストチャーチは南極への拠点だったそうだ。あのアムンゼンに先を越され、帰路で全滅したイギリスの「スコット隊」の資料が多かった。たぶんこの中にニュージーランド人もいたと思われる。
空港まで戻り、REDBUSで大聖堂へ。運賃は$5(400円)。バスに乗るときに料金を払うのだが、$5札と5cコインを間違えた。だってまだNZ$を使いだしたばっかりやん、ってことで失敗1。バスの運ちゃんに「コレデイケマス」と日本語で5$札を見せてくれた。大聖堂はクライストチャーチの中心部。空港から30分くらい。NZ初めての市街風景を楽しむ。ついてすぐにYHA(ユースホステル)へ。4人部屋のドミトリーに入ると、そこにいた岩井君とシャトルバス(電気バス)でサウスシティーショッピングセンターへ。岩井君はNZの最後2日間であり土産を買っている間に、NZの店を色々みる。kiwiのポスターカードを5枚($3=240円)買う。昼飯兼夕飯をそこのショッピングモール内にあったアジア系のテイクアウトの店で食べる。チャーハン、焼きそばを皿に半分ずつ盛り、さらにその上にビーフや豆腐の辛い料理を指さして3種類選び「てんこ盛り」にかけてくれた。$9(720円)。タイやマレーシヤで食ったようなアジアの味がした。格安ではないが、量が半端になく多い。帰りは大聖堂が見えているのでそれに向かって帰り、インホーメイション横の韓国人が経営するネットカフェでメールと裏白南風に書き込む。1時間20分で$4(320円)。$1=20分がこの辺りの相場のようだ。8時を過ぎているのにまだ日は沈まず明るい。さらに時差ボケで時間の感覚が全然ない。1晩寝たら治るだろう。ラグビーグッズショップの「チャンピオン・オブ・ザ・ワールド」にいた日本人の若い店員はNZに来て6年目だそうだ。「ラグビーの試合」について色々聞いた。プロの試合は終末にホーム&アウェイでするらしく、どうも今回のNZの旅行では日程的にラグビーの試合は見れないかも。おなじくYHAで同部屋だった阿部君と色々話、11時半に寝る。4人部屋のうち3人は日本人でもう一人はドイツ人(リネーさん)。


■2004年03月08日(月):1日目、関西空港−香港−オークランド<出発>

朝4時50分に起きる。母に車で長岡天神まで送ってもらった。5時40分発の各駅停車で梅田へ。日も昇っていない早朝なのに結構人が乗っている。飲んで朝がえりと思われる学生が社内で騒いでいた。大阪駅前からでているAIRバスに乗り換え関西空港へ。時間は62分で値段は1300円。国際線のフロアーに到着してくれるからなかなか便利だ。チケットのチェックインもすいていてすぐ終わる。出国検査も以外と簡単に済んだ。おかげで出発までに1時間以上も間が空いた。
<香港へ>
何故かはわからないが、出発時間が予定より10分早まる。14ゲートから乗り込む。ゲートの近くにネットが無料でできるPCがああったので白南風掲示板に書き込む。関西−香港は4時間。キャセイパシフィック航空は、どうやら香港を中心にした航空会社のようだ。機内食は「ビーフorシーフード?」と聞かれてシーフードを選ぶ。狂牛病(BSE)や鳥インフルエンザが立て続けに起こり、モウ結構、「コケッコッコウ!(某大臣談)」の御時世だから、シーフードを選ぶ人が圧倒的に多いのではなかろうか。飛んでる間は「ラストサムライ」がやっていて、英語+中国語字幕のを見る。後は、一眠り、朝日新聞と本をちょい読んでいたらあっさり香港についた。以外と飛行機の4時間は早いな。香港に来るのは、中学一年生(13歳)以来だから12年振りだ。この頃は、まだ香港が中国に変換されていない(変換は確か1997年)。今回は乗り継ぎだけだが。香港空港では周りが外国人ばかりなので、新鮮でいい。当たり前が。
<香港−オークランド>
時差が4時間もあるので変な感じだ。オークランド行きに乗ってすぐにテータイム。ピーナッツと飲み物のサービス。そして、すぐにデナー。飲み物で、アルコール以外のものに飽きたので、白ワインを頼む。「まけまけ」に白ワインを注がれ、残すのもなんやしと思い夕飯を食べながら全部飲んだら、しばらくして酔いがまわり、ほろ酔いを一気に超えて、気分悪くなった。しばらく寝る。この便でも「ラスト・サムライ」がひらすらやっていたので、断片的に3回食らい見た。レアルマドリードのサッカーの試合もあり、なかなか面白かった。レアルのレベルが高すぎ。2試合みたが、レアルは1点も失わず、合計6点くらいとっていた。11時間はやはり長い。寝たり、テレビをみたりを繰り返したら、到着まであと2時間になり朝食。NZ時間で5時半だが、日本では夜中の1時半。食後、コーヒーを飲んで、入国カードを書いていたら、オークランドについた。朝の7時40分くらいだが、時間の感覚がおかしい。これが時差ぼけか。なるほど。まだ4時間だからマシな方だろう。


■2004年03月07日(日):出発前

夜いよいよ明日からNZへ出発。
書きこめるなら、NZからここへ書きこむ予定。
波乱な旅になりそうだ。


■2004年03月04日(木):撤退準備

研究室と家の撤退準備。昼間は研究室で研究のデータ整理。4年の時の卒論が今だ、未完成だったので、2年ぶりに書き足し。2年前の今ぐらいの時期、卒論を提出してから卒論発表まで2週間あったのだが、この間に奇跡的に「導波実験」が成功した。この部分が今だ書けていなかったのだ。修論、卒論が完全に完成し、気分スッキリ。研究室3年間の研究データをCD-R1枚に焼いて、研究室に残す。

夕飯食ったあと、部屋の本の整理を開始。もう読まないだろうという本や漫画(タッチ)を持てるだけ持ってBOOK-OFFへ売りに行く。1500円ほどで売れた。思ったより高値がついた。棄てることを考えたら、お金になるだけいい。気分ややスッキリ。引越しシーズンは、リサイクルやゴミ問題について考えさせられる。


■2004年03月03日(水):修論の付録

修論の付録部分がまだ未完成だったので、書き上げる。付録は「ナノテクノロジー」「光触媒」「色素増感太陽電池」「半導体ナノ粒子分散ガラス」の4つについて書いた。どれも、研究テーマそのものではないが、多いに関連しており、大学院時代によく調べた項目だ。この付録と、他の訂正個所、書き足し部分を書いて、最後に目次のページ番号を入れ、完成!少なくとも自己満足は満たした。

東野圭の「パラレルワールド・ラブストーリー」を読んだ。


■2004年03月02日(火):テニス

大神子にテニスをしに行く。たぶん学生最後のテニス。


■2004年03月01日(月):マイヨット

村上龍の「13歳のハローワーク」を読んだ。たくさんの職業が紹介されているが、ここはパラパラと目を通し興味があるとこだけを読んだ。章末ごとに、村上龍のコラムがあって、それが面白かった。この中に”なるほど”と思うフレーズが多く興味深かった。例えば、「成功というのは、大きな会社に入って出世し、金持ちになって大きな家に住むことではない。仕事に充実感を持つことができて、社会的に価値が認められ、豊かな人的ネットワークを持つこと、それがこれからの成功の基準だ」「好きなことがこの世に何もない、ということではなく、まだ出会ってないだけなのだ」「魅力ある教師や親:魅力があるとは、人生を充実させ、楽しんでいるということ。教えるのはそれから」「自分は何が好きか、自分の適性は何か、自分の才能は何に向いているのか、そういったことを考えるための重要な武器が好奇心」「2種類の人間・大人:自分の好きな仕事、自分に向いている仕事で生活の糧を得ている人とそうでない人」「高度成長期が終わって日本社会が変わったのに、日本のほとんどのシステムは高度成長期のまま。考え方や意識も変わってない。」「仕事は、生活のためのお金と、生きる上で必要な充実感を与えてくれる」など。こういった内容は、今の日本の教育システムでは教えられることにはなってない。「日本の教育そのものが会社に勤めることを前提にしている」からだろう。そのために、良い大学に入るというのが目標になり、受験勉強がメインとなる。こういう本がはやったりして、今後は日本の教育界も変わっていくのかねぇ。

徳大ヨット部の部誌「マイヨット」ができたようなので、学生会館のヨット部のBOXに取りに行った。当然部員は誰もおらず、できたてホヤホヤのマイヨットが平積みしてあった。タケシと自分の分2冊を持ってかえる。さっそく夜にマイヨット読んだ。みんなの熱気が伝わってきて面白い。「いかにヨットが面白いか」という内容が多い。大学一年からM2まで6号に渡って手記を書いた。今回で最後であり、来年からは学外・県外OBとして送られてくるマイヨットを楽しみにしよう。


 [裏白南風]


 

Copyright 2004 gonn.net All Right Reserved