徳大ヨット部活動日誌

    2000年5月    

新入生の入部も決まり、今はひたすらインカレに向けスキルを磨くのみ!

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5月3日(水) 晴

ゴールデンウイーク合宿(徳島ウイーク)初日。今年は城ノ内高校ヨット部と合同練習。FJ三艇、470三艇、snipe四艇で計10艇。櫛木のスロープに並べた艇数としては最高記録ではなかろうか。高校生が三日間艇庫に泊まりこんで、徳大は通いである。午前はクラスごとの帆走練習。風は6〜8mでフルハイクしっぱなし。9時半出艇して12時着艇命令。昼飯は中華丼。準備に時間がかかり午後の出艇が2時半ぐらいとなる。OBの川田さん、鶴丸さん、工藤さんがこられる。95のテンション付近がぶっ壊れ小松島マリーナ送りが決定となる。2〜3mの微風の中、上下のマークをうち、スタ練を2本した後、上下一周のレース練。4時頃着艇命令。夕飯は川内の王将。夜は居酒屋「タケス」でみんな集まり飲む。


5月4日(木) 晴

徳島ウイーク2日目。高気圧が近くにあり、天気図から想像したとうりの微風かベタ。午前午後ともレース練。午後は場所をベラビスタの湾内に移す。鳴門高校も練習に混ざる。昼飯はカレー。


5月5日(金) 快晴

徳島ウイーク3日目。朝艇庫に着くとすでに高校生は出艇していた。かなりの快晴で0〜3mの微風。空を見上げたら「高」という字がみえそうなくらなベタ日であった。はじめはベラビスタの湾内に移動してレース練。しかし、コースが短いのでいまいちおもしろくなかった。風がでてきたので沖に移動。レース練を2本できた。1時に着艇命令。昼飯はクリームシチュー(当番:近藤、武田)。OB会長の田中さんがこられる。昼食後1m以下のベタベタの中出艇。スタ練を繰り返す。


5月13日(土) 晴

午前は微風の北風。時間節約のため、艇庫から艇をだし艤装している間に、伊原と上下のマークをうちにいく。スタ練の後、上サイド下のレース練。午後はOBの鶴丸さんがこられる。南風に変わり風速も7m前後となる。上サイド下のレース練をするが、極端な下スタでコースもほぼポートロングでワンタックのクロスであった。風速が上がったせいか、470の沈が続出。一年生を乗せて沈した時に塩見が、足を切る。すぐに病院にいくが何針か縫ったらしい。どうも切った原因は折れたパドルから出た釘のようだ。チームマッハ隼は先週の艇(3795)に続きスキッパー(マッハ)もやられた。残るはクルーの隼だけである。精神的にやられなければよいが。スナイプは2年生クルーが乗る艇を決めた。夕食は吉野家の牛丼を食いに行く。ちなみに今日はGonnの誕生日。


5月14(日) 曇りのち雨

午前は北風の1〜2の微風。スタ練を4本した後、上下一周のレース練を5本。本数を多くでき、レスキュウーの上で見た後、レースに参加たのでとても微風レースの練習になった。一日で学んだ事は多かった。ブローというよりかは風の振れと思われるが、全レースにおいて左海面が有利であった。スナイプは武田が一年の二人(ぱいぱい、かつお)を交代で乗せ指導。午後は陸上講習をしていたら雨が降ってきたので艤装解除する。その後で誕生日祝いややらで、数人が海に落とされたり、飛びこんだり、巻き込まれて落ちたりする。今日は落ちた直後が寒かった。夕飯は「ココ壱」に行く。


5月21日(土) 曇り

午前は北風微風であったが、午後は南風に変わり6〜8mくらいとなる。昼飯はカレー(当番:榊、武田)。午後は久々のオリンピックコースのレース練を行う。途中からかなり久し振りに470のスキッパーをする。クルーはコンコン。景気良クロスでとばした後、ランニングに入りスナイプの時と同じ様に、思いっきりメインシートを引き込んでジャイブしたらブローチングして沈する。後から考えると、沈して当然といえば当然である。バングもクロスの時のままガンガンに引いたままだったし。黒球をつけていたので半沈でとまり、すぐ起こす。470に乗りいろいろとスナイプとの違いを実感できた。たまには他艇種にのるのもいい練習になるようだ。川内さん(一年)が470の強烈なブームパンチを顔面に食らう。犯人のスキッパーはやっぱりたけす。これも95の災難の一環だとはこの時まだ誰も気付かなっかた。一年生と二年の一部が新歓芸の練習をするとか何とかで艇庫に泊まる。夕飯はお好み焼きの「もえ」にチャック、ビッツ、たけすとこれまた久々に行く。帰宅後、実験のレポートしなあかんなーと思ってはいたが、少し筆を進めたとこで力尽きて寝てしまう。

     
  「イエ〜イ!」と、のっている鰹とゆかぽん   しばられるピコ、とバウ  

5月22(日) 晴

朝艇庫に着くとすでに艇庫泊まり組の手によって艤装は完了していた。かつおは一人5時起きで釣りをしたらしい。3年三人が四級船舶免許の講習にいっており、練習メニューは各艇の基本練とする。午前は上下マークを打ち、1〜3mの微風の中ラウンディング。昼飯は「きつね丼」(当番:加堂、近藤)。結構おいしくて好評であった。午後2時前に出艇するがベタベタの北風。スタ練を5本ほどした後、あまりのもベタっているのでスナイプに一年同士で乗せたりする。風が吹くのをまっていたが結局最後までベタベタ。今年はいつもよりベタ日が多い気がする。新入生の中に強力な晴男か女がいるのであろうか。解装中、先週に引き続き誕生日のものが海にほり込まれる。今の部員は5月生まれが異常に多いのだ。本庄→加堂→はる→田北さん→那須さんという順に、スロープから海に落とされたり、自ら落ちたり。本日OPの艤装品が艇庫に納入される。来週に早速使えるかためす予定。おそらく日本の大学ヨット部でOPを使うのは徳大が初めてではなかろうか。そもそもOPは小学生が乗る箱舟ヨットなのだー。県連のホッパーも貸してもらえるのではないかと言う話もある。部員数が増えたのでなんとか艇数を増やしたい。新艇はすぐには無理としても、今のところ現実的なのは県連のスナイプとホッパーである。小林さんという総科の女の子が本日登場。新歓ににもくるそうだ。これで一年生は今のところ8人(男5人、女3人)である。艇庫にかけてある御札が落ちているのをたけすが発見。こいつは前回おちているのが発見された時「75沈没未遂事件」が起こったという、強力なものである。最近毎週の様に起こる3795の災難(損害金額合計約7万円、負傷者2人)はこれが原因と考えられる。今日もたけすのニュージーンズにべったりとゲルコートが付着した。御札を定位置に戻したので95の災難は終焉に向かうであろうが、今回はあまりにも被害が大きすぎた・・。しかしこれを乗り越えた時、新たな95の伝説が始まるであろう。夕飯は、仏料理(小林案)、中華料理(王将)、米料理(マクド)、印度料理(ココ壱)、和食(得々うどん)などの意見がでたが、結局「びんび家」に行く。来週はいよいよ新歓である。ちまたでは中日が10連勝でとうとう首位にたった。最下位から連勝で首位にたったのは初めてだそうだ。


5月23日(火) 晴

夜10時半に集まり徳島城(城山)のまわりを走る。インカレが近づいてきたので、火曜と木曜の夜にヨット部で走ることにした。今日で三日目。一年生の参加率が良い。光の連中が明日テストがあるらしく、2年生で参加したのはハルだけであった。二週走った後は筋トレ。ヨット部では今まで走ると田北さんがいつも一番であったが、そろそろ世代交代のようだ。これも時代の流れであろう。ついこの前までラガーマンだった1年のタケスとパイパイがはやい。今日で1勝1敗らしい。2人いる「たけす」の記述がややこしいので、これからは一年の方は「タケス」、3年の方を「たけす」とする事にしよう。何故走るのか?今日城山の暗闇の中を走りながら考えた。「インカレのため」「たるんだ体をひきしめるため」「自分を追い込むM的要素」「地球温暖化対策」「地球平和のため」「あの人のため」・・・。どれもあてはまる気がする。明日は新歓。


5月24(水) 晴   新入生歓迎コンパ

いよいよこの日がやってきた。一次会は徳島駅前の「ホテルありの道」。3年はたけすの家で幹部会議していたので、そろって参上する。会場に入ると思い出深い所だけに懐かしかった。参加人数は30人とここ数年では過去最高。顧問の川上先生の挨拶に続き飲み会が始まる。内容についてはあまり触れないでおこう。しかし、一つだけ言える事は今年の一年芸はおもしろかった。さすが一泊艇庫に泊まりこんで技を磨いただけあって、努力の跡が見られた。特にぱいぱいの「どどんぱー」にはやられた。そうくるか。まあ、この調子でインカレもさらに磨きをかけて臨んでくれたまえ。しかし自分がレースに借り出されるとは予想外であった。まぁ、声のかかるのをちょっとは期待していたがね。おかげで久々に、ゲ(略)やった。タンパク質の食いだめしとこうと思っていたのに。脱落者を送り返し、二次会は秋田町の「百友禅」。これは最近のヨット部の定番コースだなぁ。いつも以上(異常)に馬鹿騒ぎ。馬鹿と言わずして何と言う。阿保?セクハラはいけないよ、君たち。男同士もどうかなぁ。見たくないなぁ。まあ、酒の席だから大目にみよう。カルタスほしかったのになぁ。酒が切れた?次はカルホォルニアワインかもーん!おめえらクビじゃー(75クルー二人に)。いいもん、75は私らで乗りますー。、まーじでー、でーじまー。酒を飲んでも酒に飲まれるなー。どどんぱー。店をでる頃には新たな犠牲者(ばやばや、栗)が。三次会はカラオケ「きんこんかん」へ。そして、お開き。まぁ、新歓はこんなもんだろう。


5月27(土) 雨   >中国語版

天気予報のとうり大荒れの天気。南風でコンスト15m/s、ブロー22m/s。しかし、インカレも一ヶ月後とせまっているので、とりあえず出艇したが、久々の怒強風にもかかわらず、それなりちゃんと走れていた。・・と言いたいところだが、今日の天気はそんな無茶をできるレベルではなかった。午前は艇の修理や艇庫の掃除をした後、二年はバッチテスト中級の勉強をする。スナイプはレース艇3艇とも700円/mのジブシート(スーパー7)に変える。どう変わる事であろうか。今までの太いジブは強風の時は引きやすかったが、微風の時は、からまりすごくひきずらかった。昼飯はもはや定番となったカレーライス(当番:伊原、塩見)。食後ミーティング。夏休みの日程などを発表。1時半頃嵐の中艇庫をあとにする。首位対決の中日であったが、巨人にボロ負け(11-3)。明日勝てば問題はないのだが・・。


5月28(日) 快晴

前日の予報では「風13m以上、波3〜4m、午前中は雨」というものであり、こりゃヨットできんわとおもって、夜遅くに『鉄則その壱』なるものを書いて、ミーティングで使おうと考えていた。しかし、予報は見事に外れ、快晴中風のヨット日和であった。前日の嵐のなごりで波は非常に高かった。個人戦は高知であるので高波の中でのレースが予想されるので、練習にはなった。が、本日は31にとってとても厄日であった。どうも95の災難がこちらに移ったようだ。まずは、午前2年ペアーが乗っていた31は高波とけっこう吹きだした西風のなか沈。なかなか起こせずにいるうちに、ティラーが流され紛失。タカがウイスカーをもったまま、艇から離れてしまったのでレスキューで救助。代わりに、Gonn(僕)が飛び込み、ブーと何回か失敗した後起こす。メインをおろしてレスキュウーに曳航してもらうが、舵がないので目茶目茶不安定であった。途中で曳航用ロープが切れる。しかたないので買ったばっかりのジブシートを使う。これをマストに付けたのがいけなかった。これが原因と考えられるが、午後の解装の時マストをはずそうとしたら、どうもマストの形がおかしい。よく見ると、アフターのロープが付いているところでくの字にまがっている。終わったな・・。一応船台を使い、てこの原理で直そうとしたが、無駄骨であった。前途多難。なかなか上手い事いかんなぁ。インカレが一ヵ月後にせまった今、早急の対策を考えなければいけなくなった。OPが今日初出艇。2艇出すが、なかなか上手く走らすのは難しい。新入生の練習に使えそうだ。しかし、沈(オプチン)すると水が大量に入り、ベーラーがないので、バケツで汲み出さなければいけない、というのが大変である。OPの横をスナイプが走ると、とてもスナイプが大きく見える。また、湾内(漁港内)からOPがスナイプに引っ張られて出て行く姿はおもしろかった。昼飯はチキンシチュー(当番:高木、川内)。夕飯は、ヨット部カーとファミリアが吉野家に牛丼を食いに行った。中日は巨人に再逆転勝利で再び同率首位。ゴメス、山崎などの打撃陣の調子がとても良い。にしても沈起こしした日は家に着くとどっと疲れがくる。


5月30日(火)

夜10時半から城山のランニング。3週走る。柔軟、筋トレしているところへチャックが花火を持って登場。ちょっと早い初花火。明日は陸トレで眉山に登るようだが、どうも雨らしい。


5月31日(水)

10年ぐらい前の「Yachting」みていたら、スナイプで「スキッパーの後ろ向きタック」というのが、でてきた。そういえば、この前スナイプにいきなり一年同士でのせたら、まだほとんど何も教えられていないスキッパーのカツオがこれをしていた。このタックのメリットは「タッキング後のヒールが確実に押さえられる」で、デメリットは「微風時にロールタックができない」と言う事らしい。
雨が降っていたので、眉山に登るというのは中止となり、眉山の麓の武田邸で酒宴。名目は「新歓打ち上げ」らしい。始まってはやくも30分後に、大家から苦情の電話が。上の人が風邪で寝てるらしい。時間はまだ8時すぎなのにー。どうしようか、場所をかえようか、と言うているうちに宴会は盛り上がり、主は潰れて深い眠りにはいってしまった。もう今後武田邸は使えないかも。


<今月の登場人物>

4年 ビッツ
3年 Gonn 、たけす、ラスカル
2年 チャック、M、武田、タカ、
1年 ばやばや、ぱいぱい、タケス、鰹、 
etc.


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